あるいは、「フィートとメートルどちらが正しいですか?」でもよいです。勿論、そんな質問は無意味です。 単位系は、SI単位があります。学生の頃には単位系としてmskやcgsがありました。それぞれの単位系での変換をすればよいだけです。
直近の記事で話題にしていることは、「そんな質問は無意味だ」ということです。
- インチとセンチメートルはどっちが正しい?
- Aという宗教とBという宗教はどっちが正しい?
1.の疑問は、誰しも無意味だと即断します。むしろそんな疑問を持つことはありません。ところが、2.の疑問は2000年来の問題です。何故なのでしょう。
- 2022年5月23日 岡潔 の間違った点について
- 2022年5月25日 宗教 間の対立は無意味
- 2022年5月30日 宗教の限界 宗教が言葉の数ほどあること自体が限界を示している
- 2022年6月6日 日月神示 ひふみ神示の読み方について
岡潔は自ら「人は言葉でわかっているのではない。」としながら、心の本体(第2の心)を「情」だとして、決め打ちしたのです。あくまで情は、心の仕組みと働きについての一側面でしかありません。 因みに、岡潔の情は、時の現在がわかるというものです。静止画がわかると言ってもよいです。もののあわれは、動画がわかると言ってよいです。時の過去です。動画がわかるためには現在である静止画を記憶する必要があります。これが情報(言葉)です。ですから、言葉でわかるというのは時の過去です。
数学を含む言葉は互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークです。管理人はこれを「外のない内」と呼んでいます。
図1 ネットワークはすべてを覆っているが、外へは決して出てない
第1の心のわかり方は「意識を通し、言葉で言える」というものでした。第1の心の”わかる”は、わけることによりわかるというものです。 その最小単位は、数学で言えば”1”です。
- 自然数の1は決してわからない。岡潔【6】数学の使えない世界
2進数で言えば、1とはゼロでない数であり、ゼロとは1でない数です。だから、1は決してわかりません。
言葉で言えば、音素です。音素には母音と子音がありますが、岡潔と同じ言い方をするならば、「母音の”ɑ”は決してわかりません」。参考:発音記号一覧表
言葉が形式である以上、多くの言葉があるのです。中にはエスペラント語のような人工言語もあります。
言葉(教理経典)で表現した宗教もまた外のない内ですから、宗教で表現されている神仏は、すべてを覆っていますが、外へは決して出ていないのです。各々の宗教が「これこそ、唯一無二だ」と決め打ちするのは間違いです。恐らく間違ってはいないでしょうけれど、一側面に過ぎないはずです。特に”如来”はかなり近いです。
前回の記事(日月神示の話)で言いたかったことです。日月神示に言う「一つの王で治める」というのは、人がわかる物や事を言葉に置き換えるという仕組み自体を「王」という呼称に置き換えたのだろうと考えます。つまり、日月神示(ひふみ神示)の述べていることは、世界中にある外のない内に過ぎない宗教のすべてを束ねた仕組みである「一つの王」をもって世界を治めるということです。
世界中の宗教にかかる優劣を比較することは無意味です。ありとあらゆる言葉や宗教が出てくる仕組みと働きの根源に立ち入って、この「王」なる仕組みで治めるのです。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。