弧理論 について 絵画と画材の関係

弧理論 はいったい何を目指しているのか?いったい何を伝えようとしているのか?当サイトを訪れて、記事を読まれる方は様々な経歴をお持ちのようです。ところが管理人が考えて伝えたいことを記事にしても伝わっていないと感じます。

当然のこと、記事を読まれてもその方が持つ経験と知識とその方の観方、考え方を通して読まれるわけです。これまで、万華鏡影絵、あるいは匙とスプーンなどをたとえ話として説明してきましたけれども、うまく伝わらないようです。

改めて、別のたとえ話をします。思想、主義、主張、宗教、政治理念など、人文科学社会科学、あるいは自然科学、人の活動のすべては「言葉」によります。

図1 人類の活動のすべては具体と抽象の間に入る

これを絵画に例えますと、言葉画材です。

写真1 出展:オランダ黄金時代の絵画

写真2 出展:油絵などに使うキャンバスにはどんな下地の種類があるの?

 

岡潔は数学の分野で幾つもの「名画」を残しました。と同時に、岡潔は画材について、探求しようとした数少ない人です。当サイトは、数学者岡潔思想研究会にある岡潔講演録を参考にしています。

数学を含むあらゆる学問、大きく言えば文化・文明の基礎はにあり、心の仕組みと働きから出た言葉により、人の営みのすべてが出てくるのですから、名画より画材が大事なわけです。

岡潔は、心の仕組みと働きから、人が持つ”わかる”には2つある(2つの心)とし、人のわかり方現在過去に区分け(自然科学者の時間空間)し、形式である言葉との関係を説いています。

ところが、岡潔は有名ではあっても、岡潔の伝えたかったことはほぼ伝わっていないと感じます。何故なら、ほとんどの人が岡潔の思想(絵画)の部分を説明しているものだとしか読めないからです。岡潔の伝えたかったのは画材についてです。

面白いことに数多くの名画とその画材との間には何の関係もありません。実は弧理論のサイトも心の仕組みと働きについて探求しています。その起源が日本語の元である大和言葉の起源となるヲシテ文献です。特に次が基本中の基本です。

  • ヰクラムワタヲ ネコエワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ

文意は大体次の通りです。

G・アダムスキーは、人の「わかる」を五感+1と説明しました。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の5つに触覚を(touch と feel)にわけました。そして、sense mind と soul mindと呼びました。つまり、人の「わかる」には6つあり、そのうちの1つであるソウルがほかの5つの「わかる」を下支えしていると説きました。

図2 G・アダムスキーの仕分け 視+聴+味+嗅+touch+feel

つまり、ムワタとは時の現在が「わかる」ということです。現代の言い方に置き換えると「静止画がわかる」になります。次にクラには蓄えるという意味があります。時の現在にかかる「わかる」が6つあっても、下支えしているのは1つだけです。因みに岡潔はこれを”情”としました。そして、蓄えられるのは5つだけです。つまりヰクラとは5つの記憶(情報)という意味になります。別の言い方では時の過去がわかるということです。つまり、「動画がわかる:動きがわかる」ということです。ヲシテ文献では時の現在をナサケヱダと言います。また、時の過去をアワレヱダと言います。ナサケエダとアワレエダを合わせてミヤビといいます。ミヤビにより人が社会性を持つとされ、同時に記憶を司どります。(参考:ホツマ辞典:池田満著展望社刊のP225)ミヤビがわかるというのは、現代の言い方に当てはめると動画がわかるということです。弧理論での言い方をすれば、物と事がわかるということですし、物と事は一つの実体の異なる面に過ぎません。

そして、時の現在と時の過去がわかる(つまり、動きがわかる)、物と事がわかるとそれをネコエにワケます。ネコエとは音素を言います。音素には母音と子音があります。物を5つの母音に、事を10の子音に当てはめたのがヨソヤコヱ(48音韻)です。24×2で折り返して読んだのがアワウタです。

図3 出展:日本ヲシテ研究所

 

ですから、日本語の基礎は超合理的にできており、それ故、外国から入ってきた文物のほぼすべてを飲み込むことができるのです。管理人はずっと以前から日本人は外国から入ってきた物事をコピーするのが上手いのに、出来上がったものは、元の物とは似ても似つかない何かにしてしまうのは何故なのかとても不思議でした。その根幹にヨソヤコヱにあったのです。

改めて確認します。ここまでのお話は画材についてです。決して、何処かの誰かの心理学や哲学、あるいは思想の話をしていません。

天才である岡潔も仏教の唯識に嵌ったようです。唯識は仏教という絵画の部分です。心の仕組みと働きの上にあります。2022年5月17日 時制と仏教の 因果、2022年5月23日 岡潔 の間違った点について

 

  • 言葉は互いに規定しあって成り立つ循環であり、ネットワークで、外のない内です。

ですから、言葉は形式です。ですから、英語、日本語、フランス語・・・、いろいろな表現ができます。イクラムワタヲ ネコエにワケることにより英語を作ることもできます。残念ながら英語では物と事の区別がありません。

日本人ならば、如何なる宗教も思想も哲学も科学もネイティブで日本語です。その内から出ていません。ヨソヤコヱを出ることはありません。

実は最近ある方より哲学者の西田幾太郎の著書をご紹介いただきました。善の研究場所・私と汝を購入し読んでいます。

繰り返します。絵画と画材との間には何の関係もありません。心の仕組みと働きから、物や事( 弧理論 の運動)、あるいは時や空間が出てきます。その上に乗った言葉で如何様に表現してもヨソヤコヱを超えません。岡潔の言った第1の心、ヲシテ文献にあるタマシヰのシヰとは、そういった働きをしています。人は言葉でわかっているのではありません。そのわかり方(第2の心)言葉で表現することの無駄に気づくのは難しいです。岡潔も”情”だと決め打ちしました。タマ、soul、Buddha、覚、如来の裏側?、ナサケエダ、ココロバなどの表現が可能です。何せ言葉は形式ですから。

たぶん、優れた画材(ヨソヤコヱ)からしか名画(超文明)はできないです。ある科学者の言葉を引用します。勿論、彼は画材の話をしています。

君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほどに複雑になるんだ。

君たちにとって最も必要なのは、自然の基本法則または事実がまったくかんたんだということを発見することだ。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

管理人は永らく「分岐点」が何処かなのか探ってきました。分岐点が岡潔の2つの心にあり、第1の心の肝心はヨソヤコヱだと確信します。私たちの科学が進歩し続けるにはヨソヤコヱを基礎とするしかありません。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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