2010年より 研究 を続けてきました。今年で13年目です。これまで、幾つかの資料を基に考察を続けてきました。研究と言っても計算ができるわけではなく、日常生活の中に考察するだけです。こんなやり方でよいのかと自問自答してきました。
ここまで来て、やっと 研究 に数学は必ずしも必要ではないと思えるようになってきました。管理人がやってきたのは創造です。発散トーラスであり、境界空間の仮説と模型であったりします。「自然が映像ならば近接作用はあり得ない」ことなども含まれます。
創造の仕組みはよくわかっていませんけれども、ヲシテ文献で言うトのヲシテであり、仏教でいう”他力”であり、”気づかされる”です。
図1 第1の心は「外のない内」 だから自然科学に”創造”の仕組みはない
紙と鉛筆があれば、”創造”できるというならば、誰にでも創造できます。ところが、脳という処理系には、どう考えても創造の仕組みはありません。
近頃感じるのは、「人は物や事を言葉でわかっているのではない」ということです。「わかっている」というのは「わかる」です。「わかる」の語源は「わける」です。人は物や事を「言葉でわける」ことよによりわかっているのではありません。
どう考えても岡潔が言った通り「人には心が2つある」というところから話を進めねば始まらないです。第2の心(ヲシテ文献のタマ:心の本体:時の現在)により、何となくわかるというのがなければ創造はあり得ないです。
いつ、どこで、どのようにわかるのか、自分では如何ともしがたいのが”創造”です。わからないものに関心を集め続けるという行為。”弛緩と感心”しかありません。数学者でさえ”弛緩と感心”を持ち続けているから発見があるのです。
- 2017年11月8日 人間とは何か 人の創造性 人の思考における「 時制 」について
- 2021年8月16日 岡潔 の伝えたかった「創造」
- 2021年12月9日 ” 他力 ”とは創造の仕組みを言う
- 2022年4月25日 岡潔の”創造” 自然科学の問題点
- 2022年6月27日 創造 論文と紙の違い
心が2つあることがわからない人にとって、当サイトは無価値です。
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