最近、某所にて「発達史観」という言葉を聞きました。調べてみたら正確には 進歩史観 に相当するようです。 進歩史観 をwikiでみますと、次のように書かれています。
歴史を人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程と見なす歴史観。例えばホイッグ史観では、現体制を理想の最終形態とし、過去の歴史をこの現在の体制に至るまでの漸進的発展と見なすことで現体制を正当化する。一方、唯物史観では未来に最終形態である共産制を設置し、現在の社会をそこに向かう途中の一時的な段階であると解釈する。
下線は管理人による。進歩史観は、現体制の正当化に用いられたり、唯物主義においては、共産主義が最終形態として設けられているとわかります。つまり、唯物史観は進歩史観の一種と解釈できます。
いずれにしても人類は「時代を経るにつれて文明は発達するもの」という考えに囚われているということです。実は、人に心が2つあると知れば、進歩史観は間違いだとわかります。
管理人は、唯物主義がなぜ共産主義につながるのかわかりませんでした。
- 2020年10月6日 なぜ 唯物主義者 は共産主義になるのか
ここで漸くつながりました。しかし、共産制は、歴史の必然などではありません。現段階では、共産主義などうまく行く訳がありません。唯物主義でサイト内を検索すると109件の過去記事が出てきます。主なものをあげます。
- 2017年11月3日 唯物主義者は要素還元の「終点」に気付けない
- 2016年12月22日 唯物主義の限界について
- 2016年11月29日 物理学は、とうの昔に唯物主義を捨て去っていた
- 2016年7月19日 数学者岡潔 「西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。」・・・・ようやく納得
「五感でわからないものはないとしか思えない」というのが唯物主義です。【3】西洋の唯物主義参照。ヒトに心が2つあると知らねば、唯物主義に至るのは理解できます。しかし、唯物主義では、「創造」の仕組みがありません。
新しい知見や発見、あるいは発明といった創造的な活動の源泉が唯物主義にはありません。
- 2017年11月8日 人間とは何か 人の創造性 人の思考における「 時制 」について
- 2021年8月16日 岡潔 の伝えたかった「創造」
- 2021年12月9日 ” 他力 ”とは創造の仕組みを言う
- 2022年4月25日 岡潔の”創造” 自然科学の問題点
- 2022年4月27日 岡潔が伝えたかったのは” 悟り ”だったのか?
人は、物や事を言葉でわかっているのではありません。岡潔が言ったように、言葉以前に「わかる」というのがなければ一切は存在しません。どう考えても。
余談です。中村誠太郎著「私の歩んだ道」に弟子の一人が師匠である湯川秀樹氏を褒めたたえる意味で「先生はお釈迦様のようですね。」と言ったところ湯川氏は「たとえ立派な人であっても何千年も前の人と同じにするな。」と弟子を叱ったとの話が出てきます。湯川氏がヒトに心が2つあると知らねば、そういうのも無碍からぬことかと思います。湯川氏が唯物主義者だったかどうかわかりませんけれども。
言い換えます。創造の仕組みがなくて、どうして人類が発達するのか発達史観ではわかりません。発達しない発達史観など意味がわかりません。あるいは、創造の仕組みがなくて、どうやって人類が発達するのか唯物史観ではわかりません。
上記の例で言えば、湯川秀樹氏が「どうやって中間子を思いついたのか」の過程が唯物主義では説明できません。
図1 出展:闘の末に見えた!未知の粒子「中間子」
ですから、進歩史観の一つである唯物史観もまた間違っています。
岡潔が提示した数学上の発見での過程に関する疑問は、まだ解明されていない現状です。
何をして”創造”であるかについて、【28】ポアンカレ-の発見より引用します。
フランスに、アンリー・ポアンカレーという大数学者があったが、この人の著書に、「科学と方法」というのがあって、その第1章に、「数学上の発見」というのがある。そこで、ポアンカレーは、自分の体験をいろいろ書きつらねてこう言っている。数学上の発見というのは、理性的努力を欠いてはできるものでない。しかし、理性的努力をした時と発見が行われる時との間には、大抵、相当な時間があいている。いつ起こるかわからない。又、その方向は理性が予想したのとは、主に、違った方向の解決であることが多い。つまり、方向が予知できない。意外な方向の解決である。
第3に、発見は一時にパッとわかってしまう。この3種類の特徴を備えている。一体、これは如何なる知力の働きか、不思議である、とそう言っている。これは、西洋文化の本質に触れた問題ですから、フランス心理学界が、直ちにこの著書を問題にして、当時の世界の大数学者たちに、「あなたはどういうやり方で、数学の研究をしていますか」という問い合わせの手紙を出した。
その結果、大多数の答えは、ポアンカレーが言っているのと一致したというのです。それで西洋文化の中心である問題は確立したんですが、解決に向っては、一歩も近づかない。今日、なお未解決のままです。私も、実際、数学をやりまして、何度も体験してよく知っています。数学上の発見がどういうものであるかをです。
下線は管理人による。こうした心が2つあるという点を置き去りにした自然科学、あるいは進歩史観などは間違いです。
なぜ、このようなことになるのでしょうか?それは、第1の心が”外のない内”だからです。
- 第1の心・・・・意識を通し言葉で言える。理解、物の理。わけることによりわかる。言葉は、互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返し(ネットワーク)。すべてを覆っているが、一切外へ出ていない。時の過去。時の現在を含まない。ヲシテ文献のシヰ。生命維持の欲求。
- 第2の心・・・・意識を通さず言葉で言えないがしかし、何となくその趣がわかる。情的にわかる。時の現在。ヲシテ文献のタマ。仏、あるいは覚。心の本体。
例えば、言葉で言える時間は、第1の心の部分です。時の現在を含まない過去です。ですから、NHKの時報は過ぎてからしかわかりません。時間は情報、記憶です。
図2 ”今”は新しい”今”に置き換わりながら、過去(情報:記憶)となる
一つ追加 逆に言えば、(唯物主義が本当ならば、)これまでどうやって文化文明は進化してきたのか説明がつかないということです。
追記9/30 唯物主義→共産主義の系譜として興味深い動画がありますので、リンクします。
動画1
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第18回「新世界秩序をデザインした“大佐”と呼ばれた男、最初から組み込まれていたインターネット言論のユダヤ縛り」[桜R4/9/17]
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