かつて、アメリカ合衆国のオバマ元大統領の発言した「Yes we can(イエス・ウイ・キャン/change(チェンジ)」と、ローマ教皇 が、「クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことを宣言した」ことについての記事を書きました。
- 2015年11月2日 ローマ教皇 が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことについて
- 2018年5月25日 希望ある未来を示さない 変革 は「破壊」に過ぎない
オバマ元大統領の発言もフランシスコ ローマ教皇 の発言のいずれも自身の希望を言ったか、単なる思いつきに過ぎないと考えます。そこには論理的な思考は何もなく、実に無責任です。
記事を書いた当時は、そのような論理が成り立って、世界中のあらゆる 宗教 が一つに帰納する可能性があるなどと夢にも思いませんでした。
しかし、考察を続けるうちに、ヒトは物と事を言葉でわかっているのではないとわかりました。それ故に形式である言語が世界中に多数あって、それ以上に多くの 宗教 があるのだとわかりました。
- 2021年7月15日 岡潔 の”情” 言葉 形式 宗教について
- 2022年5月25日 宗教 間の対立は無意味
- 2022年7月21日 なぜ、「言語の数」と「 宗教の数 」はこれほどに多いのか
早い話が、ローマ教皇に「(これこれ、こういった理由で)世界のすべての宗教は一つに帰納することができる。」と伝えたいです。
ただし、仮に現在10持っているものを、幾つか保持しつつ新しい(帰納する宗教?、科学?)を手に入れたいということはあり得ません。現在あるすべてを差し出さなば、成しえないことです。つまり、変革には全破壊が必須だといううことです。当然、教皇という役職もなくなります。
もし、人々が可能性に気づいたとしても、非常に手厳しい選択を迫られるものになるだろうと予想します。勿論、管理人にそのような責任をとれるはずはありません。専ら、人々の自由意思による選択だということです。
そして、まったく同じ理由で、互いに押し付けあっている主義主張も意味がないことに気づいていくと思われます。
岡潔の言う「意識を通し言葉で言える第1の心」がすべてであるならば、多数の言語とおびただしい数の宗教など存在するはずありません。(一つの言語で十分です。) 言葉でわかっているのではないと何となく感じているからこそ多数の 宗教 が存在するのです。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。