唯物主義 では、オカルト、占い、スピリチュアルの存在を説明できない

数学者の岡潔は、 唯物主義 を次のように述べています。

例えば、完璧な論理で思考するならば、神仏どころか、オカルトや占い、あるいはスピリチュアルなどあり得ません。通常、論理的思考に長けた人は、オカルトなどは一笑に付すものです。ところが、これまでの考察によって、言語の多さや宗教の多さの理由は、「人が物や事について、言葉でわかっているのではない」からだということがわかりました。

これまた同じ理由で、オカルトや占い、心霊などのスピリチュアルが存在します。ただ、これらに意味があるかどうかはわかりません。

ですから、自らを科学的思考に長けており、自分は論理的人間だと自任している人、あるいは唯物主義者は、オカルトや占いが存在することを説明できません

岡潔は、人に心が2つあって、その第1の心は、「意識を通し言葉で言える心」と言いました。言葉で言えるというところがミソです。言葉は互いに規定しあって成り立つ、繰り返し循環です。ですから、第1の心も繰り返し循環です。

岡潔は、自然科学者の考える自然を物質的自然と名付けています。岡潔は、「(第1の心は)物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」と述べています。【1】2つの心

(注:自然科学者は、物質的自然を時間・空間と言いいました。この時間・空間は簡単な模型であって、自然そのものではありません。)

この「すべてを覆っているが、外へは決して出ていない。」を外のない内と呼んでいます。その理由が上記の「互いに規定しあって成り立つ繰り返し循環、ネットワーク」だからです。

図1 第1の心(言葉で言える心)は、すべてを覆っているが、外へは一切出ていない

ですから、幾ら論理的に思考する唯物主義者であっても、以外の何かが存在することは当然なのです。何しろ人は言葉でわかっているのではありませんから。その何かが、宗教であったり、スピリチュアルであったり、占いであったりするという訳です。

弧理論においては、第1の心の限界である「外のない内」における、創造は「以外」の部分にあるとしています。逆に言えば、唯物主義者は、人類普遍である「創造」と無縁だということになります。唯物主義者は、どのように進歩する手立てがあると考えているのか知りたいところです。

上の記事に紹介するようにフランスの数学者アンリ・ポアンカレ他の人たちがどうやって発見をするのかわかっていないはずです。

創造発見「第1の心:外のない内」ではないところにあります。これが第2の心の働きです。

図1 創造の仕組みと呼び名

第2の心の働き(創造)を例えば、仏教では他力と言います。気(キ)づかされるです。発見は、偶然を否定しませんけれども、それだけではありません。

 

ただし、金融資本家の思考の行き着く先に、彼らなりの「超自然的な何か」がある模様です。

 

結局のところ、人に心が2つあるとわきまえて、論理的思考のほかに発見があると考え方を切り替える必要があります。そうして、これまでは、一笑に付したことについても、一応、読んで、聞いてみるという態度が必要かと思います。自然科学には創造の仕組みがありません。これも自然科学の問題点の一つです。

 

追記 要は、第1の心(外のない内)で扱うことができないこととして、オカルトや占いスピリチュアル等々と並んで発見創造があります。ですから、陰謀論や都市伝説などは、無駄無知と嘲笑の対象にするのは愚かだと考えます。これらにヒントが無いとは言い切れないです。 UFOやエイリアン、フリーエネルギーも同じです。誰かが皆に気づかれたくない何かをガラクタに潜り込ませているかも知れません。だから、陰謀論はプロパガンダの側面があるのです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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