物理学 の物質と質量という熟語はどうにも腑に落ちない

過去に何度か「自然科学には基礎がない」と書きました。最近、当サイトにおいて、物質、あるいは質量という語を用いません。物質や質量と言った 物理学 では当たり前の言葉に違和感があるからです。順を追って箇条書きにします。

  • 人の肉体に備わった器官でわかるのは物と事である。
  • 物には量がある。
  • 事には質がある。
  • 物の量と事の質は、数に置き換えられる。数には2種類ある。
  • 数は物の量のかげ。
  • 数は事の質のかげ。
  • ただし、自然数の1は決してわからない。
  • 数も言葉の内である。
  • だから、人は、言葉で物や事がわかっているのではない。

弧理論の前提は以下です。

  • 自然は別の次元軸(基軸という。)からの投影による映像(M軸という。)である。
  • 映像である物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
  • 人が「物がわかる」というのは、時の現在である。(人は言葉以前に、それが何であるかを情的にわかる。)
  • 人が「事がわかる」というのは、時の過去である。”事”とは、物の動き。変位。動いてからしかわからない。
  • 従って、物と事は同時に決まらない。
  • だから、「物事がわかる」のは、過ぎ去った記憶に基づいて「わかる」過去である。
  • 言葉はその後であって、過去である。「わかった」という過去形しかない。

人は、物事を言葉でわかっているのではありません。

さて、自然科学の 物理学 において、当たり前に使う言葉に物質と質量があります。

1. 物質とは、「物理:空間に量・質を持って存する、実質的なもの。最近では場(ば)に対する相対的な概念と見られている。」とあります。また、「哲学:時間的・空間的諸現象のもとである実体。」とされています。そのほかにも「場所をとり一定の量(mass)をもつもののこと。質量と体積を持っていれば物質であるというのが古典的概念。」とあります。Oxford Languagesの定義、並びにweblio辞書「ぶっ-しつ【物質】」より。

2. 質量とは、「質量とは物質の動きにくさの度合い、つまり慣性の大きさのこと。ですから物質の質量は地球上でも、宇宙空間でも、月面でも変わらない。質量の単位はkg。」とあります。これに対して、重さは、「重さとは、物体に作用する万有引力(重力)の大きさです。力の大きさですから単位はN(ニュートン)。」とあります。ファン!ファン!JAXA!「質量と重さの違いって何?」より。

冒頭に示した物と事について、誤りがなければ、1.と2.の説明に違和感を覚えませんでしょうか? 自然科学においては、物の量と事の質が最初から混同されています

外国語が日本人によって、漢字熟語に翻訳される際に創られたものです。いずれも「#1629. 和製漢語[japanese][kanji][waseieigo][lexicology]」にあります。

  • 物質・・・・物の質?
  • 質量・・・・質の量?

まずもってを「空間に量と質を持って存する」、「場所をとり一定の量(mass)をもつ」というふうに一緒くたに言い表すのは変です。質量も変です。物の慣性の大きさを表す、より適切な熟語があったかも知れません。どうすれば、よいのでしょうか。

 

ところで、物は”もの”という訓読みがあります。量は”はかる”という訓読みがります。事は”こと”という訓読みがあります。質は”ただす”という訓読みがあります。

たぶん、「事の質」を「動き」、「運動」と解釈したのは、管理人が初めてかも知れません。その上で、事の質にかかる数を考えたのも初めてかも知れません。前回、ご紹介した確率について考えます。

サイコロはです。サイコロを振った結果、出た目を読むことで確率を言えます。確率は結果です。あるのは、サイコロを振るという運動だけです。確率はその結果です。

事の質にかかる数というのは出た目です。ですから、確率は事の質にかかる数です。サイコロという物の量には、大きさと重さがあります。サイコロの形状は6面体です。サイコロには黒や赤で目が描かれています。形状や目は、プラスチックを成形し塗料を塗るという製造工程があってのサイコロですから事の質です。

上手くは言えませんけれども、物の量と事の質について、最初から考え直すべきかと思います。 第一、E=mcにて、質量mをエネルギーEに換算していることを何とかしなければと思います。 時間は事の質です。m=E/cは間違いです。

ただ、量ではない時間をパラメータとして表したとき、数式が実験と合致するから相対論は正しいというのは、どうも違うと感じます。物の量と事の質を混ぜて考えることによっても、一定の成果があるのだと思います。ある科学者は次のように述べています。

君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほどに複雑になるんだ。

君たちにとって最も必要なのは、自然の基本法則または事実がまったくかんたんだということを発見することだ。

手が出ないほど複雑になっているというのは事実です。いろんな例があります。コンピュータで言えば、ムーアの法則が次第に合わなくなったのは事実です。いろいろな理由はあるのでしょうけれど、最近、マイコンのコア数は多くなっています。人工衛星を打ち上げるロケットなどは、典型的です。事故率は部品の数に比例します。未だにとても危険な乗り物です。

ここで言う、「基礎がない」というのは、「一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えて」としているに相当します。我々の知識には、もっと大事な部分が抜け落ちており、基礎があることを示唆して言った訳です。過去記事より少し詳しくなりました。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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