2015年ころに数学者岡潔のことを知って以来、弧理論の基礎資料として、岡潔の言葉について考えてきました。
最近、「ゲーデルの 不完全性定理 」の解説動画を見ました。
動画1 【 不完全性定理 】「人類史上最高の論理学者ゲーデル」を解説【ジョン・フォン・ノイマン】
この動画での要点をスクリーンショットしました。
写真1
どうも「言葉」がシステムSという意味でよさそうです。そうすると結論は2つです。
- 「言葉」が正常であるとき、言葉は不完全である。
- 「言葉」は自己の無矛盾性を証明できない。
その上で、システムSを「数学」にまで拡張したのが次です。
写真2
結論は、「数学においても、全ての真理を証明することは不可能である。」となっています。
言葉には書き言葉と話し言葉があります。数学は書き言葉の一つですから、当然だと思われます。
ところで、岡潔は講演録【1】2つの心において、次のように言っています。
人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心は私というものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸でワライカワセミのようにうるさい。
それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
岡潔は、自然科学者が考える自然について、自然科学者が持つ第1の心は、「物質的自然の全部を覆っているが、それより外へは決して出ていない。」と述べています。
管理人は、これを「外のない内」と呼んでいます。参考。
- 2021年5月14日 岡潔 「この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」→外のない内
- 2021年8月2日 岡潔 の言葉 「(第1の)心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」
岡潔の考えた物質的自然についての、「外のない内」の根拠は次になります。
- 岡潔 「自然数の1は決してわからない」【6】数学の使えない世界
これまで、散々説明してきましたけれど、もう一度書きます。2進数の1桁を考えます。
- 1は0でない数。
- 0は1でない数。
0と1は互いに規定しあって成り立つ繰り返しです。循環です。この桁数が増えても同じです。10進数でも12進数でも同じです。言い換えます。
- 人は物と事を「言葉」でわかっているのではない。
これには数学も含みます。人がわかるのは物と事です。そして、次です。
- 岡潔 数は(物の)量のかげ
- 管理人Φ 数は事の質のかげ
人がわかる物と事について、数で表せますが、数で表したからと言って、上記の通り完全に言い表すことは不可能です。循環だからです。
いかがでしょう。動画で説明のあった、ゲーデルの 不完全性定理 に近いか、もしくは同じだと感じます。
人がわかる物と事について、人の考えは、「外のない内」であり、本質の部分では「言葉でわかっているのではない」です。
この「考え」とは、岡潔が言った第1の心です。心の本体は第2の心であって、「(第2の心)が無ければ、一切は存在しない」のです。第1の心の仕組みを機械に置き換えたのが人工知能(AI)です。
図1 出展:失念
脳の仕組みを模して作られたAIは、脳の働きと同じです。人とAIの違いは2つの心があるか無いかの違いです。この違いをほとんどの人はわかっていません。
自己の考えがすべてだからと信じ切っているからです。偏差値?の高い人は余計にそのようです。
管理人は、長年、「外のない内」について説明してきました。そろそろ、すんなりと納得する人が現れてくると感じています。
もう一つ、思考の精密さに際限はありません。その行き着く先は抽象です。(もちろん、繰り返しだからです。) 現代社会の全体は抽象化へ突き進んでいます。数学の難問に挑むと心を病むのは2つの心の乖離によります。
- 2018年3月27日 宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?
- 2020年12月23日 グローバリスト 闇の支配者達が”本当に”隠したいこと
- 2021年9月30日 言葉は 自然 を篩(ふるい)にかけるフィルター
ゲーデルのように、心を病むような壮絶な思考は必要ないと感じます。ゲーデルの困難は、彼の使った言葉に物と事の区別がなかったからです。人に心が2つあると知ってさえいれば、若くして死ぬことはなかったかもです。
日本語の起源である、アワウタには、最初から物と事の区別と意味付けがなされています。 アワウタと弧理論は極めて親和性が高いです。
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