先だって掲載した次の動画にて、 相対性原理 は原理ではなくて、自然が映像ならば、簡単な仕組みで説明できることを示しまた。
動画1 10. 自然 が映像ならわかるホントの相対性理論
動画内において、別の次元軸上にある実体が投影されることにより現れる映像が我々の居る自然である旨を説明しました。それぞれ基軸とM軸と言う。
図1 M軸(x,y,z)上の赤い矢印が物理学で言うところのエネルギー
その際、基軸上の実体が持つ値を真のエネルギー値と呼びました。そして、実体がある投影角にあるとき、M軸上に現れるのが物体(黄色で示す)と事(運動P)でした。物理学上のエネルギーは運動Pの一種です。
- 物と事(運動P)は一つの実体の異なる面に過ぎない。
すると、M軸(x,y,z)上にいる観測者1、2、3はそれぞれ異なるエネルギー(運動P)を観測します。
図2
しかし、「一つの物体と運動P」の原因である実体が持つ真のエネルギー値は不変です。ですから、地球上の観測者1が木星を観測しようが、冥王星の観測者2が木星を観測しようとも、木星が持つ真のエネルギー値は不変だということです。
さて、観測には時間を用います。これまでに説明した通り、時間は運動から作ります。
日本では、国立研究開発法人、情報通信研究機構(NICT)にある標準時グループが担っています。(日本標準時グループの業務紹介)ここにあるセシウム原子時計は、セシウム原子の運動から日本での時間を作りフランスにある国際度量衡局へ送って、協定世界時が作られます。
ということは、図2に示す通り「地球上の運動から作られた時間を使って観測されて得られた結果は、地球上でのみ正しい」となります。同じように「冥王星の運動から作られた時間を使って観測されて得られた結果は、冥王星でのみ正しい」となります。これが 相対性原理 です。
このことが原因となる話は幾らでもありそうです。以前に書いた記憶がありますが、地上にある素粒子加速器は、本当の意味で運動の相対性を考慮された装置ではないということです。
どうも、図1の仕組みは原子や分子にも使えるようです。運動Pは投影角に比例するようです。運動Pから時間を作りますから、投影角に時間は比例しているようです。だから、あらゆる物理現象の記述に時間を使えるということです。ただし、地球上でのみです。
一つの物体と運動Pから基軸上の実体が持つ真のエネルギー値を求めることができるならば、このような無駄は省けるはずです。
アインシュタインの相対性理論は嘘くさいです。光速度を不変のモノサシとして、時間と空間が曲がるという抽象です。物差しである光速度がわかるためには、その前に時間がわかっていなければなりません。時間は物の運動から作ります。物と運動は空間にあります。この場合はセシウム原子です。これは循環です。空間が何に対して曲がるのかを定義しなおすべきです。
抽象とは特異点のことです。特異点は数学上の抽象概念に過ぎません。宇宙の何処かに抽象概念である特異点があるという・・・・です。
そもそも、アインシュタインの発想は電磁気学の矛盾にあります。歴史を遡ればわかりますが。電磁気学は歪められています。
図3 マクスウェル→ヘヴィサイド→ローレンツ
アインシュタインやニコラ・テスラは、既に歪められたローレンツ方程式を学びました。
ついでながら、図3の上の方にある宇宙方程式、あるいは大統一理論とされる方程式のいずれも、たとえ相対論的補正がなされていても間違っています。勿論、ループ量子重力理論も同じです。理論が高度であればあるほどに抽象に過ぎません。
証拠として、超ひも理論の概念図をあげます。
図4
超ひもの図と下の図にある「匙とスプーン」は、基本的に同じです。
図5 小学生向け国語辞書より作成
「2進数において、1は0でない数で、0は1でない数」という話と同じ。図5において。
- 匙はスプーン
- スプーンは洋風の匙
上の1.が図4の左と同じで、2.が図4の右と同じです。
化学者や物理学者がおよそ200年もかかって得た図4は、図5から決して出ていません。笑えない事実です。
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日本は同じかそれ以上…
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面白い。
倒錯してる。大富豪ほど頭がおかしいようだ。
これは私の考えと一致します。
というのも、太陽系の中で惑星が固有の振動数・周波数を持つのなら、それが光速度Cではないかと。
地球が光速度C(e)付近って事なのでは。金星が光速度C(v)付近で、火星がC(m)付近に位置するだけで。
ある(地上の)測り方では同一の測定値になり、別の測り方では異なる測定値になるんじゃないかな。
一階層上がって太陽系の光速度C(s)もあるわけで、何らかのエネルギー分布を持つ。
清家新一も光速度Cの次にDがあると書いてた記憶があります。
また、アダムスキーの本に、他惑星への移動に数時間を要したとあって、それが必要な時間だった、と。
電磁気的な変性、適応に要した時間だったのか。
水素Hはおそらくどこへ行っても水素Hなのだけど、一階層上の系から見るとH(e)とかH(v)になるわけです。
否定はしませんが、電磁気現象は結果だとの考えです。
外村彰氏の結果により、ベクトルポテンシャルに行き着きます。昔、あるTV番組で、「太陽からのエネルギーは地球近傍で赤外線となる」との説明がありました。では、太陽から地球まで何で伝わるのかが問題。
境界空間模型(空間は量的質的にない)のとおりならば、本当に実在するのは、基軸上のアとワからの何かです。
で、電磁波は横波ですが、電場と磁場の(本当の)振幅は基軸(旧E軸)方向なのでは?
すると、量的質的にない空間において、ポテンシャルのみが伝わる。
その候補として、発散トーラスと組み合わせである楕円双極が関係しているかも、との考えです。
その結果として、各惑星ごとに固有のCがあってもおかしくない。
太陽から地球まで媒質なしでポテンシャルが伝わるとの考えです。
だから、宇宙に出ると宇宙空間はやけに暗い。
>他惑星への移動に数時間を要した
ただ、人が持つ”時の過行く感じ”がどのような仕組みなのか未だにわかりません。わかるのは、物と運動P_は、実体の投影角に影響を及ぼしているはずです。
>水素Hはおそらくどこへ行っても水素Hなのだけど、一階層上の系から見るとH(e)とかH(v)になる
それもあるかも。水素で思い出しました。フリーエネルギーには水素が関係しているかも。
EMAモーターについているエアポンプは、結露対策とともに空気中に含まれるごくわずかな水素を取り込んで、酸素と結合させているように感じます。常温核融合。弧理論においては、中性子を含まない物質は特別です。
> 電磁気現象は結果だ
弧理論的にはそうなんだろう。と思うと同時に、弧理論自体に循環の穴がある、と考えます。まあ、それはそれ。
> 太陽から地球まで媒質なしでポテンシャルが伝わる
媒質は有りかと。ただ我々が日常触れている物質とは思えないほどに希薄なだけで。それで第4相のプラズマに形状が近い水素が関係してくるのかも。(電子の数やその磁気的結合状態に縛られないという意味での形状です)
“磁気リコネクション”をwikiで調べると、アニメーションで図示されています。磁力線とそうでないところ(空白)の違いは何なのかな、とふと思いました。違いは無いんですね。磁力線はモデル表現で線が無いところにも磁気に関係した何かはある。当たり前と言っちゃあ当たり前なんですが。
> 図1, 図2
光速度も2通りありますね。屈折や回折などが目視できる数値測定できる有限な光速度と、未だ測定方法がわかっていない光速度。後者が惑星を形作る力ではと思っています。例えば磁力線の進行方向に働くものなど。
> 人が持つ”時の過行く感じ”がどのような仕組みなのか
これ面白いですよね。子供の頃に嗅いだ草むらの濃密な匂い、大人になってからのあくせく日々を過ごしている時など。楽しい時間は濃く密に、そうでない時間は空疎に。速く、遅く。なぜか違いがわかる。
意識の分解能と呼んでます。仕事柄、コンピュータの基礎であるクロック同期回路の発想です。ただ、人間だけでなく、細胞レベルや原子レベル、その先の究極の領域までの、全てを貫いている意識です。
実は、まだ記事にしてないことですが。アランは「運動P_が大きくなるにつれて、物はM軸上で次元を失う」といいました。この次元を失うのは何かです。これまで質量とだけ考えていましたけれど、基本単位全てだと気づきました。つまり、次元を失うのは長さ[L]のほか物の量そのものです。すると「大きさのスケールの図」の両端において、長さの意味がなくなります。そう考えると、プランクの長さやプランクの質量などは単なる抽象概念に過ぎないとなります。勿論、「超ひも」も記事に書いた通り抽象に過ぎません。さらに特異点も抽象です。
磁束や光速度と言ったマクロな物の量?について、極ちいさな領域では、ひもだとか、ブラックホールなど事の質(抽象)のみになります。
あなたの考察の基礎は「空間とは何か」に行き着くように思います。すると素領域に行き着きます。これは湯川秀樹の考えらしいです。安江邦夫氏が述べていました。宇宙は小さない泡で出来ていると。弧理論からするとこれは間違いです。空間とは何かに応えねば、何も始まらないと考えます。いかが?
>媒質、第4相のプラズマ、磁気リコネクション、光速度も2通り
直近で、岡潔が伝えた山崎弁栄上人の言葉「本当に実在するのは心だけ、自然は心があるために映写される映像」の意味が分かりました。これは弧理論として考察してきた内容に合致します。その延長上に境界空間の模型があります。境界空間からこれらの疑問に答えを見出せるのではないかと考えます。
次の動画にて、心の本体であるタマから自然(大宇宙、空間)ができる仕組みの話を出します。岡潔の「心の本体は情」は半分正しいです。正確には「心の本体≒情」です。情は心の本体であるタマの働きの一部です。
>意識の分解能
心の仕組みと働きは「意識を通さない」領域の話です。心の仕組みと働きがわかってきたならば、K軸M軸の関係がわかり、そこから分解能の話へたどり着くかと考えます。
忘れてました。
“磁気リコネクション”に見られる磁力線の切り替え。
それが接点と関係あるんじゃないかと。
現象が映像だと考えると接するということに意味はないです。「近接作用はあり得ない」
追記。図1と図2の仕組みに気づいたのは2月末。宇宙人アランがこの言葉を言ったのが1950年7月です。実に70年の月日が経っています。なぜ、これほど簡単な仕組みに気づかなかったのか不思議です。彼の言葉は深い。ダニエル・フライは忠実に伝えただけで、理解していなかった。
> 次元を失う
難しいですね。次元とは人が定めた尺度に過ぎません。技術者は日々数十の次元(単位)を扱っていますよ。自然界から人の生活の上で便利なものを切り取って単位として扱っている。自然界⊃次元で表したモデルの世界。科学者だけが世界は何次元だとか言ってます。これで意味がわからなくなる。
Φさんが希有だとは感じますが。
> あなたの考察の基礎は「空間とは何か」に行き着くように思います~いかが?
なるほど。確かにそう読めるかな。素領域とか、そんな難しいことまでは考えていませんでした。空間を形作るものとして、代表的に磁気が挙げられるとは考えます。例えば遠くにある恒星の光が地球に届くのにどれだけ時間がかかるのか。何万年とかじゃなく瞬時であるはずだ、とか。卑近なことです。
おそらく弧理論は数段階飛ばしてその先を読もうとしている。だから↓
> 現象が映像だと考える
だから、こんな”神の手”が出てくるとわからない。これ、何にだって言えませんか。
長いです。
>技術者は日々数十の次元を扱っています。
確かに、交流理論に複素平面を使うとか、理論物理学者が9次元を扱うとかあります。
しかし、理論や数式には必ず媒体が必要です。この複素平面や9次元は、技術者や理論家の大脳内にある生理的電流です。
私の場合は、心の仕組みや働き、あるいは物理現象の説明に別の次元軸、基軸を考えています。
基軸は私の脳内にある生理的電流ではありますが、同時に本当にあると考えています。
弧理論の基軸M軸がリーマン予想のゼータ関数に似ていると書いたのは2013年10月でした。
そのころから、基軸M軸平面は、数学者の頭脳にしかない数学上のゼータ関数とは異なると考えていました。
最近、動画の作成作業中に、岡潔が山崎弁栄上人の言葉として言った「本当に実在するのは心だけである。自然は心があるために映写される映像に過ぎない。
」という言葉を、確信しました。
言い換えますと、「本当に実在するのは基軸上にある心だけであり、自然は映像である。」となります。
つまり、本当にM軸に直交して基軸は存在するとの考えに至りました。
何故だかわかりませんが、自然を、日常を観察していると「自然は別の次元軸からの投影による映像」だというヒントがかなりのかず見受けられます。
昔の偉人の資料からも同じように考えていたことがうかがえます。
もっとも当時は、映像と言う言葉はありませんでしたけれど。都合、弧理論の全体と完全に合致します。
>弧理論は数段階飛ばしてその先を読もうとしている。だから、こんな”神の手”が出てくるとわからない。何にだって言えませんか。
確かに数段階飛ばした先を読んでいるように見えるかもしれません。わかるの語源はわけるです。
しかし、人はわけることによりわかっているのではありません。言葉でわかっているのではありません。
これには書き言葉である数学も含みます。
岡潔は「情・知・意」の順に働くと言いました。知識があってから意識は働きます。
しかし、知識は極めて限定的です。岡潔は自然科学者が考える自然について、「全てを覆っているが、それより外へは決して出ていない。」と述べています。
これを外のない内」と言います。知識による理論化の構築には限界があります。外のない内だからです。
最近、岡潔が伝えたかった外のない内は、ゲーデルの不完全性定理と同じか、似ていることがわかりました。
ゲーデルのように、人に心が2つあると知らないと、死に物狂いで考え続けなければ、知識の限界に気づけないのだとわかります。
最近、イーロンマスクがチャットGPTの開発の中断を求めたことがニュースになりました。
イーロンマスクは人に心が2つあることを知りません。
2つあることを知らないと、人とAIとの違いがないという結論に達するからです。
知能の高い人は皆、論理の展開に物凄い自信を持っています。人がわかる物と事のうち、事の複雑さに際限はありません。その行き着く先は抽象です。
世界の出来事のほとんどは、急速に抽象化しています。
金融商品やデジタル通貨などをはじめとして、抽象化は2つの心の乖離につながります。物凄い自信の果てに、あるのは抽象化による2つの心の乖離です。
心が病む原因の多くは、言葉が繰り返しや循環だからです。
世界の言語の数は約7000以上あります。宗教は日本だけで約18万もあります。論理の帰結が唯一ならば、曖昧さのない一つの言語があればよいだけです。
宗教など存在するはずありません。これだけの数があること自体が「言葉でわかっているのではない」という証拠です。
カエサルの言葉にあるように、人は自らが望んだものを信じているだけです。
唯物主義者も何かを信じたいから信じているだけです。どうも、抽象の果てに倒錯があるようです。悪魔崇拝は倒錯の結果のようです。
バイデン一族は、マネーロンダリングだけでなく、人身売買にかかわっているようです。エプスタインの闇は深いです。
> 次元を失う
(人が設定した)次元は意味を成さなくなる、の方が。
> 技術者は日々数十の次元を扱って
様々な理論もですが、もっとベタなこと。人・モノ・カネなどのリソースとか、日程とか。
> 本当に実在するのは基軸上にある心だけであり、自然は映像である。
ホログラム宇宙、人間原理みたいですね。もっとも観察者が人間だからそうなるのでしょうが。観察者が他の動物や植物、鉱物、単体原子や惑星規模の生命体だとしても同じですか。見え方は同じなのか。反証可能性はあるのか。投影規則は心の謎が解けなければわからないままではないでしょうか。
> チャットGPT
集合知によるAIはルール・検閲がある限り歪な人間のモデルであり、支配層のおもちゃかな。AIによる統治もアトムやドラえもんに親しんだ日本人には受け入れがたいだろう。
> イーロンマスク, バイデン一族, エプスタイン
ここ数年、陰謀-陰謀論を見て嫌になりました。国家は合法的なヤクザに成り下がりました。非常に質が悪い。あれもこれも嘘だらけ。でも、朝方の救急車の音にはもう慣れてしまった。
> 金融商品やデジタル通貨
未だに金融”商品”の意味がわかりません。デジタル通貨は便利だけど、そもそも社会信用度とは?と思ってしまうし。「社会があなたを信用しますか?」「あなたは社会を信用しますか?」いずれも”信用しない”尺度を設けている時点で破綻してる。銀行で投資話をされた時「今、私の目の前で、信用を創造してくれ!」と言いそうになった。かなり危ないです。社会を信用していると言わねばならない1984の世界がやってきそうで。
> 宗教は日本だけで約18万
あら、まだ八百万まで遠いですね(笑)
> 論理の帰結が唯一ならば、曖昧さのない一つの言語があればよい
言葉>生命だから、無数の可能性を殺している世界なんだ、と思った。
テレパシーの使い方をもっとうまくなりたいものです。深淵で広大な宇宙のことを考えないとバランスが取れません。人々が求めるモノじゃなくて、自分が感じるものでないと心が動かない。世界は優しくてシンプルなはず。
>リソース
いや根源は「空間とは何か」です。
>ホログラム宇宙
ありません。情報を蓄えるには必ず媒体が必要です。リンゴの全情報を蓄えているのはリンゴそのものです。どこかにホログラムがあるなどあり得ません。
>見え方は同じ
学生の頃まで考えていました。考えても仕方ないという結論になりました。ただし、最近は心の本体であるタマの裏返し?が映像である自然だとわかりました。人それぞれの望んだとおりが自然として現れている可能性はあるかも。
>心の謎が解けなければ
完全に同意です。ようやく全体がわかってきたから、No.10~の「心の仕組み」動画を作っています。
>質が悪い。あれもこれも嘘だらけ
ほんとです。何年も前、ベンジャミンフルフォードが言っていたトンデモが本当だったとわかってきました。
>社会信用 危ない
同意。信用創造という言葉遊びは嫌いです。2つの心の乖離を警告しているのは、社会全体の抽象化が問題です。行き過ぎた抽象化を別の言い方では、「言葉遊び」と言います。
「核抑止力」というのも嘘くさいです。ほんとは彼らに自制心などない。
>テレパシーの使い方
ブログ内でテレパシーという語をほぼ使いません。卑近で興味本位になるからです。私は日々「実践」していることの結果を記事にしているに過ぎません。別の言い方では「他力」と言います。あるいは『トノヲシテ』と言います。わかりやすくは「気(キ)づかされる」です。岡潔の言った「創造・発見」です。
>心が動かない。世界は優しくてシンプル
まったく、その通りです。カギは「弛緩と関心」です。
わからないものに関心を集め続けて待つ。それだけです。いつやってくるのか私にもわかりません。手法的には私個人の部分がありますが。
ブログに書き散らしてきましたけれど、段々まとまってきました。研究は、1から積み上げる様なものではありません。逆です。アランが言った「分岐点まで降りる」を実行しているだけです。自然科学を基礎においては、「何もわからないまま福祉の役に立つ」という状態のままです。