ユダヤ人は優秀だとされますが、その起源は神との契約にあるように思えます。 自然科学 の発展に寄与していることは確かです。正解かどうかわかりませんが、メモします。まず、契約に至る経緯の概略です。
- 神は天地を創造し人を作った。アダムとイブ。
- 神から食べることを禁じられていた知恵の木の実。 アダムとイブは蛇に誘惑されてこれを食べ、楽園から追放された。これが原罪。
- 楽園が天国、追放された先が地獄(自然界)?
- 知恵をつけた人間は、繁栄の後に堕落。
- 子孫であるノア一族を除いて滅びる。
- 末裔の一人であるモーセは神と契約。
- モーセ(ヘブライ人)→ユダヤ人
- 契約により自然界を支配できる?
- 原罪からの救いを得るための信仰?
- 原罪とは性悪説?
- 天国と地獄が成り立つためには、原罪が必須。(原罪・契約→天国・地獄)
契約は(わける)ことが前提です。契約の主体を人(モーセ:ユダヤ人)とすると(甲)で、(乙)が神です。
自然科学 は、唯物主義と還元主義です。還元主義は(わからないものをわけることによりわかる)とする考え方です。「かわる」の語源です。ユダヤ人は自然界を支配してよいことになりますから、ユダヤ人以外の人は被支配者です。自然界にあるのは、人(ユダヤ人)と物(被支配者を含む)です。
分割統治が基本です。ABCにわけます。被支配者A、被支配者B、支配者Cがユダヤ人です。勿論、大富豪、あるいは権力者にユダヤ人以外もいますが、ここではユダヤ人とします。彼らは、自然界(の物)を「わけることによりわかる」と考えます。
- 善と悪
- 正と邪
- 天国と地獄
- 神と悪魔(堕落した天使?)
- 表と裏
- 性善説と性悪説
- 長所と短所
- 右と左
- 民主主義と共産主義
- 自由主義と社会主義
などがあります。これらを二項対立と言います。支配者Cは、二項対立の構図を煽って地位を維持しています。直近で言えば、フランスの暴動です。誰と誰が対立しているのか定かではありませんけれども、この暴動は計画的に行われているというお話もあって、狙いは国民の監視強化だとも言われています。この場合、ABCが誰なのかということです。
歴史家の林千勝氏は、次の図を使って説明しています。
図1 NWO-共産主義 対 新自由主義
被支配者AとBは互いに対立していますが、本当の敵はC(グローバリスト:無国籍者)であることがわかります。一見、完璧な体勢のようですが違います。
実は、支配者Cたちは、還元主義から抜け出せていません。いろいろ考察してきた結果、還元主義である彼ら(C)の考えは悪魔崇拝に至っているようです。つまり、「神と悪魔」の考えから抜け出せないのです。
恐らく、Cに信仰はありません。神がなければ支配権のみ残ります。(同時に契約も切れます。)Cは自らを神だと考えてもよいですが、信仰が抜けたといっても、二項対立は残っています。だから、「神と悪魔」という「対」から抜け出せないのです。
悪魔崇拝を象徴しているのがジェフリー・エプスタインです。
写真1 出典:大富豪の性犯罪容疑者ジェフリー・エプスタイン被告
彼はユダヤ人ではないようですが、信仰が抜け落ちて堕落するのは原罪があるからだと考えます。
- アメリカ人、宗教取ったら中国人(欲望のみの人)
原罪とは何かと言うことになります。どうも、言語(言葉)であるようです。冒頭の通り、神から禁じられていた知恵の木の実を食べたから文明が発達したととれます。知恵の源泉は言葉です。言葉があり、契約があったから科学が発達したと考えると納得します。しかし、このような科学の行き着く先は抽象です。多元宇宙や超弦理論など、究極の理論がいくつも存在します。これらは皆、抽象理論です。科学者の頭の中にのみ存在します。物をABにわけることしかできないからです。ほんの一握りの科学者にしかわかりません。これでは発達はできません。
ここのところ、原罪とは何か、考え続けてきました。言葉であることはわかっていました。ヒントは止揚です。二項対立の仕組みそのものへの止揚です。
何度も指摘してきましたとおり、言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返し循環・ネットワークです。ですから、人は物や事を(わけることにより)わかっているのではありません。ここがポイントです。
- 善は悪の如し、悪は善の如し
- 右は左の如し、左は右の如し
- 女は男の如し、男は女の如し(LGBT)
つまり、仏教の如来は言葉の仕組みを示しています。そこに善悪はありません。右も左もありません。そういう仕組みがあるだけということです。支配者Cは決して抜け出せないのです。日本人に原罪はありません。如来がわかるからです。サイト内には「原罪」を含む記事が15件あります。幾つかをあげます。
- 2015年8月18日 聖書の原罪とは何か? 日本人には関係ない
- 2022年11月21日 日本は十字架の国ではない アワウタ は何でも飲みこんでいく
- 2023年2月6日 日ユ同祖論 は間違い 日本はユダヤを飲み込んだ
動画1 13アワウタは仏教キリスト教ユダヤ教を含む
ここでやっと日本人に原罪がない理由がわかりました。日本人は、言葉の仕組みが(何となく)わかっているからです。
元より、神との契約などありません。自然界を支配したいとも思っていませんから、信仰が抜け落ちたら欲望のみむき出しの人になったりしません。
岡潔が「人に心が2つある」と言った件についてです。自己を何と呼ぶか、いろいろあります。
- 自己、心、Buddha、寿(いのち)、タマ、情、覚、気、ソウルマインド
多くの呼び名があるのは、それが何だかわからないからです。「わける」ことによって、決してわかりません。あるいは、決して量れません。言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返しでした。語の説明は必ず「対」となる語句を使わねばなりません。ところが、自己の存在だけは、説明の必要がありません。自己の存在は自己が銘々わかっています。
ですから、自己と「対」となるのは、自然そのものです。これが自然崇拝につながるように思います。心の表れが自然界だということです。
- 山崎弁栄上人 本当に実在するのは心だけである。自然は心があるために映写される映像に過ぎない。
このように思えるのは日本語の起源にあります。日本語の起源は48音(アワウタ)にあります。アワウタは、最初から物と事を区別しています。
図2 出典:日本ヲシテ研究所 アワウタは、物を5つの母音に事を10の子音に対応させた
自己を取り巻く自然を合理的に言葉に置き換えることができるのは、アワウタだけです。他の言語は物と事の区別がありません。抽象理論に行き着く前に、如来の仕組みに気付きます。ですから、日本人に原罪はありません。(日本人全員が気付く訳でもないですけれど。)
追記2023/0711 田中英道氏の講演で面白いのがありましたので、メモします。
動画2 田中英道◆縄文から古墳時代、ユダヤ到来!秦氏が守り続ける日本
この動画でも原罪を語っています。私たち日本人には、原罪を理解できません。
最近観ているアメリカのTV番組に弁護士が活躍する「スーツ」があります。ここで重要視されているのが証言録取です。宣誓をしての証言に偽証があれば有罪と言うことです。あまり理解できないことですが、彼らには非常に重要な事のようです。原罪と直接にはつながりませんが、「神と原罪と証言」は無関係ではないようです。
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いつも興味深く拝読しています。
福島の東日本大震災以来様々なことをインターネットを通して考えて来ましたが、このところのコロナ禍により世界がどのように組み立てられているのかのおおよそ見渡せるようになった気持ちがしております。
既存のアカデミズムの嘘が見えて来た所で、私の興味は人間の「言語」使用に移りました。ここ一年のウクライナ問題に関連して支配-被支配の構図は言語なしでは実行できないと了解したからです。何故人間は言語(言葉)を使用するのか、ほかの動物はしないのに。これが大きな疑問です。一応の私の解答は「使役(支配)するツールとして言葉が有用だから」です。宗教は言葉によって嘘の支配構造を作ってきた、言葉がなければ宗教はない。これが現在までの私自身の了解内容です。
様々な事象を差別なく考慮に入れて検討されている貴ブログに巡り合えた事を幸せに思っております。
ありがとうございます。・言葉は文明の基礎であり罪でもあります。・互いに規定し合って成り立っている(循環です)から、難しさに限りがありません。・行き着くところは抽象論であることに気付いていません。・人がわかる物と事を言葉の仕組み(母音子音)にもっているのは日本語だけです。この特性は大きな希望です。詰まるところ、・人は物と事を言葉でわかっているのではないということが最も大事です。ほとんどの人に、これらのことをおわかり頂けません。
養老孟司氏の話を聴いて、心の仕組みから言葉が出てくるまでに幾つもの過程があるとわかってきました。(ホツマ辞典が最も詳しいです。)以上のことは、ヲシテ文献、仏教、岡潔などが示す内容と等しい訳ですから、確度は高いです。動画での解説に盛り込んでいます。
支配の道具としての宗教はダメですが、中心にある「信仰」は大事です。自己(心)の表れが自然界(映像)だとわかってきました。自己の存在は誰もが肯定します。信仰の元となるのは自己の存在だとも言えそうです。自己肯定感の裏返し?が信仰につながっているのかも知れません。まとめると、自然崇拝です。これが日本教です。自己肯定感が低いと「神も仏も無い(絶望)」訳です。田中英通氏の言うように一神教より自然信仰の方が優れています。以上のことは「わけることによりわかる」と考えている内はたどり着けません。
私のような研究に適切な発表の場はありません。目立たなくても続けるしかありません。