前回、参考に示した図によって、自然科学と社会全体が抽象化しつつあることがわかります。どうすれば、 社会の抽象化 を食い止められるかを考えます。
少し補足します。
図1 両端において、物の量はわからない
極大の世界も極小の領域も自然科学は抽象に向かっています。因みに自然科学の基本となるモノサシに時間を使っています。物理学において時間は基本単位(基本量)の一つですが、自然科学の全体は、時間を使った繰り返し(循環)に過ぎません。
- 運動→時間→光速度→相対論(時間・空間)
- ↑----------------←
時間は空間内にある物体あるいは物質の運動から作ります。ですから全体は循環です。この循環の中から、光速度を一定であると決めてしまうことによって、循環を断ち切っています。するとE=mc2が成り立っているように思えますが、間違いです。この数式でエネルギーと質量の関係を求められるとして、図1の両端に適用しています。これは間違いです。さらに、図1の両端において、物の量はわかりません。(説明は省略)
その結果、自然科学の各々の分野の理論は複雑で抽象化しています。時間は量ではありません。秒(sec)という単位を持っていますが、量ではありません。彼らは理論が複雑で難解であることが進歩であると信じ込んでいます。
図2 人がわかるのは物と事
地球上のあらゆる物の量と事の質は、全体として事の質に偏ってきています。それが数学や物理の理論であれ通貨、金融、あるいは主義主張であってもです。
一つの例として、BLM騒動やLGBTQなどの混乱は、主義主張の複雑さ故に出てきたものです。それらの騒動は、司法の武器化という形で現れています。 最近、トランプ大統領の演説を見ました。録画が動画サイトにありました。同時通訳者がトランプ大統領の話を同時通訳しています。その中で、トランプ大統領は「反司法省」と言いました。これです。バイデン政権が、民主党が、戦争屋が、DSが、グローバリストが行っていることをトランプ大統領は、たった一言で言い表していました。彼らの思考は倒錯しています。倒錯は抽象です。あるいは統合失調です。「お前らは何を言っているのだ。」です。彼らは、当たり前のことを当たり前に考えることが出来なくなっています。
さて、本題です。どうすれば 社会の抽象化 を食い止められるでしょうか。今の世界は、唯物論であり還元主義です。何処まで行っても「わかる」には「(二項対立として)わけ続ける」という方法しか知らない人達です。すでに倒錯の域に達しているにもかかわらず、気づけないのです。信仰心がカギになりますでしょうか?わかりません。
彼らは、神の存在を信じていないというか、反神を選択しているようです。藤原直哉氏の言うところの悪神あくがみ信仰です。神の存在を信じないから無神論者とはならないのです。彼らは二項対立から抜け出せないのです。「狂気の沙汰は金次第」
今のところ、決定的な解決策はありません。彼らは如来の仕組みに気づきません。
- 善は悪の如し、悪は善の如し、真は偽の如し、偽は真の如し、男は女の如し、女は男の如し、右は左の如し、左は右の如し、~~
還元主義(二項対立)では解決しないことに何故気づかないのでしょう。人は物と事を言葉でわかっているのではありません。それがわからないのですから、実にもどかしいです。
還元主義の無常に気付いて、信心深くなることは一つの経路かも知れません。しかしながら「神、原罪、契約」という信仰は、ユダヤ教以来のものですから解決の糸口にならないことは明白です。矢張り自然崇拝しかないようです。
- 自己の表れが自然界(映像)
自然を敬うことは、自己の存在を大事にする事と同じです。同様に祖先を敬うことに通じます。まず神が存在するというのはまやかしです。自己とは、心、Buddha、寿、タマ、ソウルマインドに同じです。もしかしたら、「天上天下唯我独尊」に通じるかも知れません。一部引用します。
自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。他と比べて自分のほうが尊いということでもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いということ
ちょっとした気づきです。ただし、人間というのは良くないです。人あるいはヒトが正しいです。自己とは、自分から何もかもそぎ落とした心の本体とでもいう意味で使っています。ヲシテ文献にあるヒトの定義です。
- ヒフミヨミイムナナヤココト
ヒトは生まれ、経験を重ねて成長する存在という意味です。ヒト=タマ+シヰ(生命維持の欲求)です。図2のとおり、シヰが強いから全体が抽象化しつつあるというのが現代です。
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