超ひも理論において、「世界は11次元であり、残りの次元は小さく折りたたまれている」と考えられています。
一方で、 弧理論 の骨子は「自然は映像である」というところにあります。この自然は映像だという考え方は、見方を変えれば「余分な次元が折りたたまれている」と言えそうです。折りたたまれている仕組みを説明します。かなり難しいです。
1)弧理論の「自然は映像」を詳しくすると次になります。
- 自然は別の次元軸からの投影による映像である。
- これは、山崎弁栄上人の言葉「自然は心があるために映写される映像に過ぎない。」に等しい。【3】西洋の唯物主義
別の次元軸を基軸と言います。映像をM軸と言います。M軸とは物質軸、岡潔の言った物質的自然を言います。基軸はM軸に直交しています。
ここで、人がわかるのは物と事です。事を言い換えると「動きがわかる」です。ここでは運動Pと呼んでいます。
- わけることによりわかる。わかるの語源はわける。
これを図にします。
図1 自然は基軸からの投影による映像(物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない)
基軸は、任意に運動する物体あるいは物質に対して常に直交しています。ですから、私たちにとって、基軸はどの方向にあるかはわかりません。ここで、人がわかる物と事(運動P)を整理します。物は陽子・中性子・電子の3種類だけで、それには長さと質量があります。事(運動P)には次があります。
- 速度、加速度、流速、運動量
エネルギー
波、音、波動、孤立波(ソリトン:素粒子)
電磁波、光子
圧力、熱、温度
角度、時間、
知識、記憶、情報、統計、確率
エントロピー
お金 etc
角度から作る時間は事です。物の量ではありません。時間は事の質です。ですから、時間を含むエネルギーは運動Pの一種です。また、多数観測される素粒子群は、粒子とは言いますが、波(孤立波)の一種で”事”です。なぜならば、図1に示すように運動Pが大きくなるにつれて、物は次元を失うからです。運動Pが大きくなると質量は観測されません。例えば、電子と光子は一つの実体の異なる面に過ぎません。
2)さて、宇宙を観測すると遠くの銀河は加速度的に遠ざかっています。宇宙の大機構造のほとんどはボイド(超空洞)であり、その隙間に銀河などの物質があります。つまり、宇宙は泡構造をしています。加速度的に遠ざかっていますから、観測の限界があります。
図2 出典:wiki超空洞
ここで、図1を思い出して下さい。より遠くの銀河は、物の量はわからなくなります。つまり、事の質のみわかる訳です。言い換えますと、光の速さに近い速度で遠ざかる銀河までの距離はわからなくなります。観測の限界付近では、物の量(質量、距離)がわからなくなり、事の質(波:温度:圧力etc)だけわかります。
因みに相対性理論での数式 E=mc2によって質量(m=E/c2)を求めることはできません。なぜならば、光速度cがわかる前に時間がわかっている必要があるからです。そもそも時間は物の量ではありません。
3)小さな領域において、素粒子群はほとんど光の速さで運動しています。これも大きな領域での運動と同じです。素粒子は粒子とは言いますが、波の一種であり、事です。ここでも、素粒子の質量(m=E/c2)を求めることはできません。
写真1 出典:【課題】高エネルギー実験で生成された荷電粒子の飛跡を見つける
そもそも観測しているのは、その飛跡であって粒子そのものではありません。物理学者たちについて、ある科学者は、次のように述べています。
電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
物理学者は、波動関数で表される確率波を持つ粒子だと定義しています。観測の際だけ、都合良く粒子だとするのは変です。
都合、素粒子の世界において、物の量はわからず、事の質のみわかります。
まとめると、極大の世界も極小の領域のいずれも、物の量はわからず、事の質だけがわかります。図に示します。
図3 長さのスケール
この図をよくご覧下さい。私たち観測者から見ると、図の両端はいずれも運動Pが大きく、物の量はわからず、事の質のみわかります。物の量とは質量と長さです。運動が大きくなるにつれて質量と長さがわからなくなります。つまり、空間の行き止まりということになります。これを当サイトでは、外のない内と呼んでいます。
この両端で運動Pが大きいことについて、見方によって空間は曲がっていると考えられます。もう一つの見方では、次元が折りたたまれていると言ってもよいかと思います。
本記事の趣旨はここまでです。以下は更に詳しい説明です。ご興味があれば。
4)さて、M軸のxyzと余分な次元軸である基軸k(元はE軸と呼んでいました。)を加えると4次元である訳ですけれども、4次元は4つの3次元にわけられます。
図2 E→Kと読み替える
(xyz、xyk、yzk、zxk)です。これだけで自然は4倍あることになります。
任意の運動をする物質にかかる基軸の方向はわからないのですが、例外があります。上図の左端をご覧下さい。xy平面内での回転運動にあるときのみ、回転軸であるz軸方向に基軸は重なります。
物と事には単極と双極があります。例えば、電場と磁場です。電子は電荷を持っていて、周囲に電場があります。これは単極です。運動する電子は周囲に磁場が出来ます。これは双極です。磁石や電磁石は双極です。弧理論では、基軸上にある実体と(例えば)電子は双極を成しています。
図3 基軸(旧E軸)上にある実体と物質(ex電子)は双極を成す
基軸上にある実体と電子は”対”となり、謂わば双極です。この実体をC、電子をFとしますと、C-Fの双極がM軸(物質面)に垂直に投影されると電子Cが現れます。図3で言えば、M軸を上から見ている状態です。ここに、C-Fの投影角が90度以外の角度になったのが図1です。 電子が物(単極)で、電子の運動(事)が磁場(双極)として現れます。
つまり、電磁気現象は、物と事をつないでいると考えられます。その意味で電磁気現象はとても重要です。
さて、実体と電子の対であるC-Fの双極は、M軸に現れる際に、どのように現れるかが問題です。磁石はN極とS極からなる双極であって、N極あるいはS極の単独で存在することはありません。
しかし、弧理論では、C-Fの対がM軸(xyz)に現れる際には、双極として現れます。それが発散トーラスです。
例え話をします。鉛筆は先端の芯と頭を持つ双極です。
写真2
しかし、発散トーラスは、片方の端は観測できません。位置を持たないのです。鉛筆で言えば、頭の部分がありません。
写真3
双極なのに単極のように振る舞う。これが発散トーラスです。しかも、渦があります。電子が存在する位置に電子は観測できません。基本形が双極なので物はありません。単極のように振る舞いますが、発散トーラスは事(運動P)の一種です。しかも、渦があります。
渦がありますから、右回転と左回転の二種類あります。
図4 4種類(右手系右回転はマイナス、右手系左回転はプラス、左手系右回転はプラス、左手系左回転はマイナス)
写真4 左回転の双極の例
例えば、左回転のNとSの双極(磁場)は、右手系左回転(プラス:上向き)と左手系左回転(マイナス:下向き)の組み合わせによってできています。その際、z軸に基軸(k)は重なりますので、基軸方向に(上下に)発散して消えます。(位置がない。)
つまり、図4に示す4種類ある発散トーラスの内から2種類の組み合わせによって双極(磁場)が出来ているということです。そして、説明は省略しますが、発散トーラスは、距離の7乗に逆比例する力の場です。
非常に強いが到達距離はとても短いのです。これは、原子の周囲に別の次元が小さく折りたたまれていると言って良いです。そして、2種類ある発散トーラスの組み合わせが持つ距離の7乗に逆比例する力は、互いに基軸方向に打ち消し合うことにより、私たちが観測できる電場や磁場という距離の二乗に逆比例する力として観測されると考えます。
図4に示す発散トーラスは、プラスとマイナスがあります。電子Fの実体はCだけではありません。物(物質)である陽子中性子電子の3個には、それぞれ2つの実体があるようです。
図5 物(陽子中性子電子)が持つ基軸上(旧E軸)の実体
これまでに何度も記してきたように、私たちがわかるのはすべて差分だと言うことです。差分となる起源は基軸上にある大宇宙の中心、アとワより来ています。
弧理論による原子模型を示します。
図6 弧理論による原子模型 実体が描く弧(Ark)が原子を形作っている
大宇宙の中心であるアとワは斥力を持っています。実体はM軸に対して斥力が原因となって、発散トーラスは、無限遠に(回転を伴って)消失しようとします。これは物質が運動せざるを得ない原因となっています。
説明が難しくなりましたが、要するに物質は渦を描いて運動せざるを得ない性質があり、その原因は斥力にあります。そして、アとワが持つ斥力ゆえに、回転を伴った宇宙の大規模構造(泡構造)を形成していると考えられます。
そして、電磁気現象は物と事をつないでいて、現象が差分である故に、エネルギー保存の法則が成り立つと併せてフリーエネルギーは成り立ちます。その要かなめとなっているのが電磁気現象だと考えてよいようです。
5)弧理論は4次元での位相問題です。電磁気現象は、4次元での位相問題であって、位相は90度に限られます。
超ひも理論においては、11次元を考えています。3次元+時間軸?に加えて7次元です。図2のように考えるならば、M軸は11の3次元にわけられるはずです。超ひも理論は、11次元での位相問題だということになります。単なる次元数をあげるだけでは幼児が指折り数えて足りないから足の指を足しているだけに思えます。
例えば、大宇宙の中心が基軸上に2つあるのは何故かなどです。それがわかれば、目や耳が2つあることも納得しますし、空間とは何かがわかってきます。空間時間が自明だというところから研究を進めても複雑すぎます。ある科学者は言いました。
正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。
だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たちがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。
本当は常に簡単で理解が容易なのです。(それでも難しいですが。)
6)弧理論では、心の起源を基軸(気軸)上に求めています。冒頭の山崎弁栄上人の言葉にあるとおり、自然が映像であるならば、映像の投影される仕組みを探求すれば、人が持つ2つの心の起源がアとワにあることがわかってきます。
これはヲシテ文献(ホツマツタヱ)などに記された骨子と同じです。(ヒトハ ア ノモノ)また、Buddhaや如来の仕組みと完全に符合します。さらには、人がわかる物と事は、ユダヤ教の「在りて在る者」、キリスト教の「アルファでありオメガである」とも合致します。つまり、世界の主立った宗教の骨子とも整合がとれているということです。対して自然科学には多くの問題があります。
7)日本語の起源である大和言葉の大元はヲシテ文献に示されるヨソヤコヱ:48音にあります。このヨソヤコヱの仕組みは物と事を区別して意味づけした世界で唯一の言葉です。だからこそ、日本語で1)~6)に示した内容を解析し得たのです。
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