先日の記事の続きです。
- 2024年1月15日 万物の理論は出来ない その理由(1)
万物の理論 ができない主な理由は、6つあります。
- 数学を含む言葉は、互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環でネットワーク
- 外のない内
- 抽象化は止まらない
- 極大の世界と極小の世界にある空間の行き止まり
- 波を使って大きさと質量は求められない
- 理論の複雑さと行き止まりにある事の複雑さには関係がない
言葉と外のない内
理由1.と2.についてです。
例えば、英語を習得するには、3000語くらい語彙が必要なようです。
そこで、英語なり、国語の辞書をご覧ください。言葉は互いに規定し合って成り立っていることがわかるでしょう。言葉は繰り返しであり、ネットワークなのです。これを岡潔は、講演録【1】2つの心において、次のように述べています。
この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。
おわかりのように、英語や国語の辞書は、ページ数に限りがあります。つまり、閉じています。これら辞書のみならず、昨今のインターネットや国会図書館の蔵書など、地球上の全情報も閉じていることがわかります。
つまり、岡潔は知識・意識を通して科学することに、限界があることを説いているのです。その原因が、言葉の持つ特性にある訳です。この一見、矛盾する岡潔の言葉、「全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない」を外のない内と言います。
私たちの知識や意識は、ともすればすべてをわかっていると錯覚します。これは、外のない内であるからです。
これが知識・意識、科学が持つ本質的な限界です。
抽象化という落とし穴
3.についてです。
言葉が繰り返し、ネットワークである原因は、物と事にあります。人がわかるのは、物と事です。弧理論では、「自然は別の次元軸からの投影による映像」と考えます。すると、以下になります。
- 物と事はひとつの実体の異なる面に過ぎない
- 物と事は、互いに規定し合って成り立つ繰り返し
- 物と事は必ず対となって現れる
- 事の複雑さに際限はない
この特性によって、上記、知識・意識に繰り返しが現れるのです。そして、この繰り返しは、事の複雑さに行き着きます。この行き着く先が抽象です。
ですから、理論があまりに複雑で抽象であると感じるならば、この落とし穴に嵌まっている可能性があることを立ち止まって考える必要があります。現代の宇宙論は、まさにこれに当たります。
空間にある行き止まり
ここの説明は難しいです。次の図は長さを表す図です。
図2
人がわかる物と事の範囲は異なります。その根拠は、弧理論の前提にあります。
図3
実体が持つ値の変化分(差分Δ)が投影によって、事として現れます。これを運動Pと呼びます。
図4
投影角が浅くなる(運動Pが大きくなる)につれて、物は次元を失います。
- 物の量
- 事の質
図4で言えば、電子Fは、物の量である大きさと質量は観測できなくなります。これは、図2で言えば、左端、極小の世界での話です。
つまり、図2の真ん中に位置する観測者(人間)から見て電子の速度(運動の一種)が大きい場合です。ついには、図2の左端において、物の量(長さ、あるいは大きさ、質量)はわからなくなります。ここが空間の行き止まりです。
同じく、極大の世界を見ます。遠くの銀河は、加速度的に遠ざかっています。ついには、光の速さに近い速度で遠ざかっているために、観測できなくなります。その前に、図3、図4でご説明しましたとおり、観測者(人間)に対して、遠くの銀河などにかかる物の量は、次元を失い観測できなくなります。つまり、図2の右端にあるのは空間の行き止まりです。
弧理論の「自然は映像だ」という前提に立てば、宇宙の両端には、いずれも空間の行き止まりがあるということです。
波を使って大きさと質量は求められない
写真1
何度かご説明しましたように、マイクで拾ったハーモニカの音から、ハーモニカの大きさや重さ(質量)を求めることはできません。これが音(空気の粗密波)であるか、電磁波や放射線であるかは、関係ありません。加速器や電波望遠鏡であっても同じです。
ここで、物と事を整理します。
- 物は、陽子・中性子・電子の3種類のみ 長さと質量がある
- 事は、速度、加速度、流速、運動量
エネルギー
波、音、波動、孤立波(ソリトン:素粒子)
電磁波、光子(電磁気現象には疑義あり)
圧力、熱、温度
角度、時間、
知識、記憶、情報、統計、確率
エントロピー
お金 エネルギーetc
ただし、情報を蓄えるには、必ず媒体(物)が必要です。
理論の複雑さと行き止まりにある事の複雑さには関係がない
ここが一番難しいところです。
実験や観測で得られた情報には、媒体(物)が必要です。それは、紙であったり、ハードディスクやUSBメモリなどの電磁気媒体、あるいは科学者の脳にある生理的電流であったりします。
肝心なのは、得られた情報(観測結果、実験の結果)は、物の量ではなくて、事の質である点です。これを自然科学者は勘違いしています。その根拠としているのが次式です。
- E=mc2
- m=E/c2
E:エネルギー m:質量 c:光速度
エネルギーは事の質です。質量は物の量です。光速度は事の質です。
波(電磁波、放射線)を使って得られた情報(事の質)から、上の数式を使って、素粒子や銀河などの質量や大きさを求めています。確かに観測値と理論は、正確に合致します。しかし、彼ら、科学者たちが求めているのは、事の質にかかる数であって、物の量にかかる数ではありません。これは抽象です。
彼らの脳内にあるのは、とても複雑な生理的電流(複雑な事:理論)です。彼らの理論は、図2の両端の様子をある程度捉えていると考えられますが、ハーモニカの例の通り、彼らの理論と宇宙の仕組みが同じであるとは言えません。
この数式が使えるのは、図2の中央部分に限られた範囲だけです。物の量と事の質が両方とも揃っている範囲のみに限られます。
- 物と事が揃って、初めて言葉で言える
物理学者は、事の質を1020倍も拡大して、これを物の量だと勘違いしているに過ぎません。
知識・意識が持つ、本質的な繰り返しを回避するには、自然は映像だと考える以外にありません。事実、ヲシテ文献や仏教に示される内容は、自然が映像であるということを示唆しています。これらに従うとヒトの心の仕組みと働きを組み込んで考えることができます。
ついでながら、ある情報に興味深い記述があります。「The manuscript of survival – part 68 5 January 2012」より一部引用します。
この物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金が
つぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクトなのです
「賢い頭脳を間違った方向に向けさせてた、誤魔化しのプロジェクト」というのは、素粒子物理学のことを指しています。その根幹に上記の数式があります。
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