自然科学は間違っています。物と事の区別がないからです。これまでに詳しくしてきましたので、ここでは書きません。では、これからの 科学の基礎 に何を持ってきたらよいのでしょうか。
日本語はユダヤも飲み込む
これからの 科学の基礎 は、日本語の起源となるアワウタにすべきだと考えます。その前段階の考察として、2つ記事を挙げます。
- 2018年8月27日 なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか
- 2020年9月4日 日本語 の話者がいなくなれば、人類は滅びる
歴史的に見ても、ユダヤ人は5回に渡ってやってきました。
- 2023年2月6日 日ユ同祖論 は間違い 日本はユダヤを飲み込んだ
図1
その都度、彼らは日本に同化したようです。何故、このようなことが可能なのかということです。その理由として、日本語の起源となる、アワウタは合理的で科学だからです。説明は後ほど。
日本語は多層構造
ご存じの通り、日本語は幾重にも折り重ねたパイ生地のような構造をしています。
写真1 出展:サクサク*手作りパイ生地
南北アメリカ大陸の先住民のように他言語に乗っ取られることもなく、フィリピンのよにバイリンガルになることもありませんでした。 一重に日本語の起源となる、アワウタが堅牢だったからです。日本語のパイ生地のような構造の一番下には、アワウタがあります。ですから、今後も、ヤマト言葉、和語を大切にしたいものです。
自然科学の範囲
自然科学は、「自然はわかりきったもの」としています。
自然科学において、わからない何か、はみ出た何かを「あり得ない、存在しない、非科学的、オカルト、神(超自然的な何か)etc」として無視しています。自然科学は、Aの科学、Bの科学、Cの科学・・・を集めたものです。
ですから、全体を見通せませんし、部分において、つながりません。一番大きな問題は、古典力学(ニュートン力学・相対性理論)と量子力学(素粒子物理学)が統合できない点です。
しかし、科学には本質的に、物と事の扱える範囲があります。自然科学者は、物と事の区別がありませんし、扱えない部分があることに気づいていません。
アワウタは、既にして科学
「わかる」の過程を詳しく解説します。箇条書きにしますので、丁寧にお読みください。
- ヒトの肉体に備わった器官でわかるのは、物と事
- 物がわかる (唯一の現在)
- →何となくその物の趣がわかる:写真のようにわかる:静止画(岡潔の情、善導大師の覚、ナサケヱダ このわかるがすべてを下支えしている)
- 次いで、事がわかる 動きがわかる(過去)
- →動画のように動きがわかる(本居宣長のもののあはれに近い、アワレヱダ)
- 物と事が揃って、初めて意味づけできる
- 物と事にそれぞれ母音と子音を割り振る
- →これが言葉
- 言葉で言える(知識、情報、記憶)
- →記憶の媒体としての肉体が必要
- 物と事の価値がわかる(意識は過去)
ここで、科学は「物の初めから事の終わりまでをどのようにわけるか」に尽きます。
図2 物と事は一つの実体の異なる面
ただし、弧理論においては、物と事は必ず”対”となりますから、対とならない何かは科学に成りようがありません。言葉で言えません。これは、知識・意識が”外のない内”だからです。物と事には、際立った特徴があります。
- 物と事は互いに規定し合う繰り返し、循環(因果という)
言葉は、物と事で互いに規定し合う繰り返しで、ネットワークになります。ですから、言葉の意味は、時々に反転しますし、価値も反転します。言い換えますと、言葉の意味や価値は相対的です。
- 真は偽の如し、偽は真の如し
- 正義は、立場によって不義である
真実とか真理、あるいは正義を使わない方がよいとわかります。
大事なこととして、音が12音階にわけられ、組み合わせである和音が心地よいのと同じく、心の仕組みと働きに合致したアワウタは、自然と調和しているということです。つまり、他の言語と比して、日本語は自然と調和しているから、話しても聴いても心地よいはずです。
ここで、母音と子音に割り振ることが出来ないし、扱えない何かは、抽象です。抽象的な何かに対応する媒体は、その人の脳の部分にあります。それと、アワウタには超自然的な何か(神)はありません。
図3 出展:日本ヲシテ研究所 ヨソヤコヱ(48音)アワウタ
- アワウタは、物の初めであるアから、事の終わりであるワを漏れなく含む(科学)
- アワウタの隙間や、はみ出た何かは抽象である
ここで、自然科学のように、複雑でより緻密であることが進歩という訳ではないことがわかります。
「数」は2種類ある
ここで、物と事は数で言い表せます。
- 数には2種類ある
- 物の量にかかる数
- 事の質にかかる数
- しかし、自然数の1は決してわからない
物と事がわかって、母音と子音に割り振って、初めて意味づけできるのですから、意味づけできない1は決してわかりません。ここで、母音と子音に割り振ることが出来ないし、扱えない何かは、抽象です。
抽象とは、現象としての物と事に関係なく、その人の頭の中(媒体)だけにある考えです。抽象には、繰り返し(循環、あるいは再帰)が含まれています。このような抽象に陥ると2つの心の乖離が起き、そのような人は心を病みますので、注意が必要です。
映画「ビューティフルマインド」は興味深いです。
写真1 出展:ビューティフル・マインドの感想。天才数学者の数奇な生涯と、純愛が心に染みる。【アカデミー賞受賞作】
参考:◇映画“ビューティフル・マインド”のモデルになったジョン・ナッシュ氏が逝去されました。 [雑感]
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