当サイトでは、「自然とは、時間とは、空間とは何か」について考察してきました。行き着いた先は、「人が持つ心の仕組みと働きとは何か」でした。ところが、人の存在は自明であっても、それを説明するのは、とても困難だとわかってきました。
出生からか、凍結胚(IVF)からか
先日、次のような動画を観て感じたことを書きます。
動画1 3.21 民主党の新たな武器『IVF』
4:40~です。話題は、IVFについてです。
- IVF 凍結融解胚移植
- 体外受精や顕微授精で得られた受精卵を発育させた胚を、凍らせて保存しておくための方法です。 受精2日目から3日目の4分割から8分割胚もしくは5日目から7日目の良好胚盤胞を凍結いたします。
動画では、この凍結胚について、アラバマ州の裁判所がIVFの凍結胚を「子ども」であると認定したということです。凍結胚は人だということです。
それで、 人とは何か ということになります。確か民法では「人は出生による」となっていた記憶があります。参考:人の始期・出生
この動画では、その前段階(出生前)で既に人だということです。動画にしても、日本の民法にしても、人とは何かをはっきりすることはできません。この点についての考察です。
ヒト=タマ+シヰ+ウ
一般に説明とは、定義から始まるとされます。上に示した動画や民法でも同じです。ところが、人が持つ特性には、言葉で言えない何かを含んでいます。それは人に心があるからです。
管理人が調べた内で、一番詳しい説明は、ヲシテ文献にあります。これまでの「ヒトとは何か」という考察をまとめると以下になります。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物と事)
- ヒトハアノモノ
- 「ア」は決してわからない
- 数「ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナナ、ヤ、ココ、ト」
この説明において「言葉で言えない何か」を含む余白というか、余地を持っていることにお気づきでしょうか。以下、解説します。
1.ヲシテ文献では、ヒトを人とか人間と表しません。ヒトという語に語源があるからです。それを4.に示します。ヲシテ文献では、数を数えるときの1~10について、1と10のヒ・トです。これはヒトが生まれてから、経験を積んで成長する存在であることを示しています。
タマとシヰでタマシヰです。タマは心の本体です。シヰは欲しい欲しいのシヰで、強いるのシヰです。これが生命維持の欲求です。2つの心を合わせて、タマシヰです。漢字で「魂」とすると、まったく意味が通りません。
そして、ウは渦のウでして、物と事を示しています。つまり、物質と運動です。
1.をまとめると、ヒトとは、心の本体と生命維持の欲求があり、タマシヰとなります。2つの心に物質がついて、ヒトとなります。ここで、肝心なのは、心の本体であるタマは、何も説明していないことです。タマとは、空間的に広がりがあり、表面積が最小の立体というくらいしかわかりません。つまり、タマの働きはわかりません。以下、タマの詳しい説明は省きます。
ヒトは「ア」のもの
2.次に、ヒトはアのものだと説明されています。これまでの解析によって、宇宙の中心は2つあることがわかっています。
例えば、地平面の中心は地平面にありません。何故ならば、地平面は2次元平面ではなくて、3次元曲面(球体)だからです。つまり、地平面の中心は、地球の中心に1つあります。
この説明の次元を一つ上げます。空間の中心は空間にありません。何故ならば、空間は3次元空間ではなくて、4つめの次元での曲面だからです。つまり、空間の中心は、別の次元軸上にあります。しかも、2つです。この2つの中心をアとワと言います。
それで、ヒトハアノモノです。つまり、ヒトという存在は、宇宙の中心の一つであるアのものだということです。
アは決してわからない
3.それで、2つある宇宙の中心の「ア」は決してわかりません。岡潔の言葉に次があります。
- 岡潔「自然数の1は決してわからない」
2進数1桁の1は、0と互いに規定し合っています。1は0でない数、0は1でない数です。何桁でも何進数でも同じです。1は決してわかりません。ついでながら、コンピュータでは、1と0をそれぞれONとOFFとして表されます。
- ONは決してわからない
- OFFも決してわからない
日本語の起源となる、ヨソヤコヱ(48音)は七五調に詠まれます。それがアワウタです。
図1 出展:48音図表 日本ヲシテ研究所
物と事を5つの母音と10の子音に割り振っています。それで、アワウタは、次のように解されます。
- ヒトがわかる物の初めであるアから事の終わりであるワを表している。
物と事は必ず対となります。”対”とならない何かは言葉で言い表すことはできません。また、物と事は互いに規定し合う関係にあります。
- アはワの如し、ワはアの如し
ですから、アは決してわかりません。ワも決してわかりません。
- 2023年12月11日 如来 と岡潔「自然数の1は決してわからない」の関係
ヒトは、そう言ったアのものなのです。
単独で取り出せない
ここで、興味深いことに気づきます。ヒトの生死は、必ず”対”になっています。
- 生は死の如し、死は生の如し
一寸、奇妙な言い回しですが、言い換えますと、前出のONとOFFに同じです。
- 生は決してわからない
- 死は決してわからない
- 生を単独で取り出せない
- 死を単独で取り出せない
gif1 スイッチよりONのみを取り出せ
- 有を単独で取り出せない
- 無を単独で取り出せない
これらの質問は、一休さんにも答えられません。
ほとんどは自明ではない
こうして考えると、言葉で言えること自体にある種の制限があることがわかります。ヒトは言葉でしか考えることが出来ません。その考え自体に制限があるということです。勿論、言葉に数学を含みます。ヒトの心の仕組みと働きはタマに込められています。しかし、何も説明していません。これを外のない内と言います。参考:山崎弁栄記念館
原理的にわからない何かを定義も説明もできません。ヒトには、そう言った「言葉で言えない何か」を含む余白というか、余地を持っていることをおわかりいただけたでしょうか。
これまでに考察してきたとおり、こういった余白というか、余地から発見や創造がやって来ることは明白です。これを仏教では他力と言います。サイト内を「他力」で検索。知っての通り、自然科学には発見・創造の仕組みはありません。
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