最近、ある人のお話を聞いていて感じたことです。
その人は、幾つかのことをお話しされました。そのうちの一つのテーマは、 無知の知 について語られたのだとわかりました。直接に、 無知の知 という言葉を使われませんでしたが、「私たちは、自分が知らない。知っていることに限りがあるのだとわきまえる。」という意味にとれました。
無知の知について、ネットで調べますと、次のようにあります。
余談です。管理人は、無知の知という言葉は、中島敦「名人伝」にある「不射之射」から知りました。
当サイトにおいて、永らくお伝えしてきた言葉に「外のない内」があります。この言葉は、「無知の知」と同じ意味を持ちます。サイト内に、「外のない内」を含む過去記事は、152件ヒットしました。
2016年頃に山崎弁栄上人の存在を知り、関連で「外のない内」を知りました。
以下は、「外のない内」が「無知の知」と同じである理由です。
数千、あるいは数万の言葉を聞けて、話せて、文章に書ければ「話者」と言ってよいでしょう。
一方で、私たちの知識は有限です。何故ならば、言葉は「互いに規定し合って成り立つ繰り返し」だからです。だから、どんな辞書も必ず閉じています。同じように、地球上の全知識、全情報も必ず閉じています。
他方で、私たちの意識は広がりを持っています。例えば自然とか宇宙とか言った言葉から思いを馳せるし想像することができます。
私たちは、明らかに有限な存在なのに、同時に広がりを持てる存在だと言うことです。これを外のない内と呼んでいます。
これが言葉の限界であり、知識の限界、意識の限界です。
それこそ、ジム・キャリーの演じた映画「トゥルーマン・ショー」と何も変わりません。
写真 トゥルーマン・ショー
多元宇宙論、ビッグバン宇宙論、宇宙のホログラフィー原理などは、皆、知識、意識による想像です。
- 言葉は、ヒトがわかる物の初めから、事の終わりまでを規定し合う繰り返し(外のない内)
- 如何なる言語の辞書も必ず閉じている
- 数学も科学も同じで必ず閉じている(フラクタル:繰り返し)
余談です。
多元宇宙論とフラクタル ビッグバン宇宙論と特異点 どこか似ています。
- 数学≒科学 「物理現象を数学理論に置き換える」それは抽象
動画 The Hardest Trip – Mandelbrot Fractal Zoom
管理人は、動画を30分くらい眺めました。行き着く先が抽象とは、とても危ないです。コンピュータなら繰り返しを問題なく処理できますが、脳は、このような数学的な繰り返しに耐えられません。
要は、数学的に想像を膨らませると心を病むということです。「自然は複雑で美しい」というのは、この「繰り返し」が原因です。
- 物と事(動き)は互いに規定し合う→ 物と事は必ず対で現れる
図1 ボイルの法則 物と動きは、必ず対
- 絶対零度が存在しないのは何故か。
- 宇宙マイクロ波背景放射の原因は?
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