最近、動画で「私たちは純正律を奪われた」という解説を観ました。純正律がどういうものかは、動画で検索してください。
管理人は意味がわかりませんでしたが、「純正律は、心地よい」という言葉だけが記憶に残りました。この「心地よい」で思い当たるのが日本語の起源となる アワウタ です。あわの歌より。
ああかはまな
いきひにみうく
ふむぬえけ
へめねおこほの
もとろそよ
おてれせゑつる
すゆんちり
しいたらさやわ
このアワウタを子どもたちに教える状況が以下です。
モモニヒナ アヤメニチマキ
タナハタヤ キククリイワイ
ヰトシフユ ヲハハカマキル
メハカツキ コトバヲナオス
アワウタオ ツネニオシヱテ
詳しい解説は、ホツマ縄文日本のたからp180をお読みください。
アワノウタ カタカキウチテ
ヒキウタウ オノツトコヱモ
アキラカニ ヰクラムワタヲ
ネコヱワケ フソヨニカヨヒ
ヨソヤコヱ コレミノウチノ
メクリヨク ヤマヒアラネハ
ナカラエリ
長いですが、解説を同上p181から引用します。
楽器にあわせて、歌います。声の調子もよくなり、身体の調子も良くなります。
どうして身体の調子まで良くなってゆくのか、その理由というのは、そもそも身体とは、たくさんの元素から構成され出来ているからなのです。そして、たくさんの元素は、四十八音の音韻にも、同じ意味で言い表されてもいるのです。四十八音の音韻は、宇宙や世界の全体の抽象的な表現であるのです。
-略-
また別に、元素を現したのが、言葉の音韻の四十八音のでした。つまり、言葉の音韻四十八音は元素を表し、ヒトの成り立ちも元素を根としていました。このことから言葉が通ってくれば、自然とヒトの体調も整ってくるのが道理となります。
言葉を直して、病気やまいなく長寿に至る。
2016年頃より、その意味を解釈するに苦心したのが次の部分です。
- ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコヱ
この部分の本からの解説は、一部省略しました。池田氏の解説と異なるからです。
管理人による各部分の意味です。
- ヰクラ・・・・5つのクラ (クラには”蓄える”という意味がある。)
- ムワタ・・・・6つのワタ (ワタは「わかる」という意味。)
- ネコヱ・・・・母音と子音からなる音素
- ヨソヤコヱ・・・・24×2=48音
今でもこの部分の説明は難しいです。
図1 「わかる」の内訳
ヒトがわかるのは、5つあります。
- 見る
- 聴く
- 味わう
- 匂いを嗅ぐ
- 触る
岡潔は、すべてを下支えしているのが”情”だとしました。同じく善導大師は、これを”覚”としました。ですから「視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚」と言います。
それから、G・アダムスキーは、触覚は2つにわけられると言いました。”touch”と”feel”です。これをセンスマインドとソウルマインドと言い、ソウルマインドがすべてを下支えしているとしました。都合、岡潔も善導大師もG・アダムスキーも言っていることは皆同じです。
「わかる」というのを1+1=2と数えるか、5+1=6と数えるかの違いです。
その上で、「わかる」は6つあるとするならば、ムワタに同じと気づきます。6つあるワタ(わかる)がすべてを下支えしているということです。そして、記憶として残るのは、ムワタから{情、覚、feel}を除いた5つです。これがヰクラ(5つの記憶)です。
このヰクラとムワタをネコヱ(母音と子音)にわけることで、24×2からなるヨソヤコヱ(48音)になります。このヨソヤコヱを五七調に詠んだのが アワウタ です。
図2 ヨソヤコヱ(四十八音図)日本ヲシテ研究所
改めて、上記の解析を元に図2を説明します。ただし、池田満氏の解説とは異なりますので、予めおことわりします。
ヒトがわかるのは、物と事(動き)です。動きとは運動です。
図3 物と事は互いに規定し合う繰り返し
- 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物と事は互いに規定し合う繰り返し、循環である。
ここで、ヒトがわかる物を5つの母音に、事を10の子音に割り当てます。これがヨソヤコヱ(48音)になります。ただし、物と言っても、化学の周期律表にある元素とは違います。感覚でわかる風のような気体、あるいは柔らかい、暖かい、冷たい、固いといった物です。事は、「はじめ、つなぐ・・・はねる、おわる」といった物の状態です。(図3のとおり。)
それで「わかる」は、以下の順になります。
- に物がわかる
- 事がわかる 動きがわかる
- 物と事を母音と子音に割り当てる
- 物と事に意味づけ出来る
- 言葉で言える
- そうして価値がわかる
- 最後に意識してわかる
物と事が揃わねば、意味がわからない点に注意です。
- 物と事は規定し合う繰り返しだから、意味は反転し、価値も反転する。
物と事には、凹凸というか、はっきりした部分と、希薄な部分が緩やかに変化していると感じられます。波というか、うねりというか、上手く言えませんが、デジタルのようなものではなくて、アナログのように緩やかに変化し合う関係にあるようです。
- 物と事は、互いに緩やかに変化しながら、規定し合う繰り返し
言葉は、幾らでも複雑になり得ます。その組み合わせが複雑であれば、あるほとヒトは意味をくみ取れなくなります。これを抽象と言います。
物と事は必ず対となって現れます。物は運動せざるを得ないからです。そして、事の複雑さに限度はありません。複雑の行き着く先は、フラクタルを経て、カオス、ランダム、混乱へ至ります。その上、物と事は規定し合う繰り返しですから、時に意味は反転します。
ヒトは、いくらその状態を言葉で言い表すことができても、意味や価値の反転を原因とする混乱の内に意味を見いだせなくなります。
要は、物と事がはっきり揃った部分を母音と子音に割り当てたのが アワウタ であり、 アワウタ は、自然の仕組みと合致しているから心地よいのです。
当然のこととして、身体にもよくマッチしているから、「ミノウチノ メクリヨク ヤマヒアラネハ ナカラエ」るのです。
因みに、「ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物と事)」です。シヰは、欲しい欲しいのシヰで、生命維持の欲求ですから、「嬉しい、美しい、悲しい」と言った喜怒哀楽は、心の本体であるタマの働きと異なります。どうも「心地よい」というのは、シヰとは異なる働きのようです。シヰは欲しい欲しいで、誰かへの何かの押しつけを伴いますけれども、「心地よい」は、シヰを満たしてくれるものでもないし、押しつけはありません。(非常に大事です。)
あまり、健康であらねばならないというようなことではなく、幼い子どものように気軽にアワウタを口ずさめれば良いと感じます。
ああかはまな
いきひにみうく
ふむぬえけ
へめねおこほの
もとろそよ
おてれせゑつる
すゆんちり
しいたらさやわ
アワウタは、物の初めから事の終わりまで、ヒトがわかるすべてを覆っています。そこから、はみ出したり、マッチしない事(動き)は、心地よくないし、抽象に過ぎません。これはとても大切な指標です。
- 2019年3月30日 ヲシテ文献にある ヰクラムワタ のヰクラについて
- 2019年10月21日 ヲシテ文献 にあるヰクラムワタとヰツイロの関係について
- 2022年10月26日 ヲシテ文献 「ヰクラムワタヲ ネコエワケ」と「ミヤビ(ナサケヱダ アワレエダ)」の関係について
- 2023年11月2日 ヲシテ文献の「カミ」{Buddha:タマ 如来 神} 科学になり得るのは( カミの仕組み )のみ
余談です。
物がわかる範囲と事がわかる範囲は、幅が違います。
図4 物と事がわかる範囲
極大の世界と極小の世界は、人から見て運動が大きく、わかるのは事です。(おそらく)ビッグバン宇宙論やブラックホール、多元宇宙論、あるいは単独で取り出せないクオークは、事の質(抽象論)です。物の量はわかりません。自然科学には物と事の区別がないからですが、この仕組みの説明は省略します。
素粒子加速器は、超巨大なノイズ発生器です。有害であって、多少先に進めますが、本質的な進歩につながることは(おそらく)ないです。物理学において、抽象的な数学を優先しても心を病みます。
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