これまでに、発見や創造という仕組みについて散々書いてきました。ところが、その前提がわかる人が皆無だとわかりました。コメントで「俯瞰してものを観る。これが難しい。」とありましので、前提から記します。
岡潔は、自然科学者が対象とする自然について、次のように述べています。【2】自然科学者の時間空間より。
ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。
自然科学者は、時間とは何か、空間とは何かちっとも考えていないと言います。そういう時間空間は、簡単な模型であって、自然そのものではないとも言います。これを物質的自然と名付けています。
その上で、岡潔は「2つの心」において、第1の心を次のように述べています。
この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
それで、第1の心は物質的自然の全部を覆っているが、それより外へは決して出てないと言います。
管理人は、高校の頃に、無知の知という言葉を知りました。岡潔の「全部であるが、それより外へ出てない」というのは「無知の知」に近いとわかりますが、山崎弁栄上人記念館のサイトに最適の言葉があると知りました。それが「外のない内」です。「外のない内」で検索すると過去記事は153件あります。
意識には広がりがあります。対して知識は有限です。にもかかわらず、科学者は意識して空想をたくましくします。彼らは外のない内を知らないからです。
図1 ビッグバン宇宙論
何も考えていないと知ると結構、恥ずかしいです。それで、こういった知を小賢しいと感じます。
- 2023年10月12日 「小賢しい知」を乗り越える 如来 の仕組み
- 2023年10月21日 知識の限界 (抽象&外のない内) 小賢しい知
調べれば、論文や図書館、あるいはネットなどにある事は、俯瞰できますが、わからない何かは、俯瞰の対象外です。今、このわからない「X」が対象である訳です。これは外のない内を了解しているということが大前提です。
(正直、この前提をなんとなくおわかりの方は、たやすく越えておられます。しかし、この前提がわからない方は{恐らく}生涯おわかりになりません。)
その上で、 ひらめき の過程についてです。【10】数学上の発見より。
ポアンカレーはここで自分の数学上の発見を数々述べて、そうしてそのあとでこういってる。「数学上の発見は特徴、3つある。1つは一時にパッとわかってしまう、瞬間にわかってしまう。第2は理性的活動なしに起こったことは何時もない。しかし、その時期は随分ずれる。それも1年とか1年半とか経ってからのことが多い。
第3は結果が理性の予想の範疇の中にあったことはない、理性の予想通りであったことはほとんどない、大抵は予想とは違う。
- ( ひらめき は)一時にパッとわかる。
- 理性的活動なしに起こらない。( ひらめき の)時期は随分ずれす。
- 結果が理性の予想の範疇にない。
1.について、ミュージシャンたちは「天から降りてくる」「上から降ってくる」などと言います。2.について、これが多くの場合「俯瞰」と区別できません。
図2 「知」のネットワークとわからない「X」(匙とスプーンの関係)
わからないXについて、既知であり(Xの周辺と考える)U、W、あるいはYなどから論理的な予想を付けます。(しかし、Xがわかった訳ではない。)それで、周辺を考えながら、わからないXに関心を集め続けます。この期間が随分かかります。3.それで、ほとんどの場合、得られるひらめきは、2.で予想したものとは異なると言います。
それで2.の期間における態度ですが、岡潔の言い方では誤解が生じますので、G・アダムスキーの言い方を使います。
- 弛緩と関心
リラックスしてXに関心を集め続けます。これは、Xそのものがわかりませんので、2.に示した内容を反芻するしかありません。これを実践といいます。
管理人の経験では、わからない何かの周辺について、間を置きながら考え続けること、最長で5年から7年というのがあります。わかれば、たいしたことはないのですが、わからないものは仕方ありません。ということで、現在も保留となっているXは幾つもあります。
それで、得られたひらめきを基に、周辺のA、B、J、VなどからXを構築する訳です。これが発見であり創造です。
しかし、これら発見(の元)は自己の内にはありません。それがいつ、どこからやって来るのかわかりません。つまり、発見した何かの所有権は、個人にはないのです。勿論、責任もありません。ですから、ノーベル物理学賞などは、発見者に与えられますが、知的所有権は本人にありません。
何処かからやってくるひらめきを「気づかされる」といいます。これが仏教で言う他力ですし、日月神示における気です。ヲシテ文献のナサケヱダです。この働きを「トのヲシテ」と言います。また、古神道でいう中今です。
- 過去と未来との真ん中の今。 遠い無限の過去から遠い未来に至る間としての現在
図2 時の流れ
「一時にパッとわかる」という特性は、過去と未来の間だからです。これを岡潔は「情的にわかる」と言いましたし、仏教の善導大師は「覚」と名付けました。G・アダムスキーのソウルマインドでもあります。
動画 「わかる」という「働き」は3つある
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