2015年頃より、岡潔の言葉、ヲシテ文献について調べてきました。いつからか「 意識 とは何か」との疑問を持っていました。管理人なりに、一応の回答(仮説?)を得たのでメモします。ただし、難しい内容を含んでいますし、書きたいことが多すぎますので簡易な説明とします。
岡潔は次のように述べています。
- 「情・知・意」の順に働く。
- 情的にわかり、知的に言い表すことにより、文化は出来てくる。
岡潔の情は、他の資料には次のようにあります。
- ナサケヱダ ヲシテ文献にある心の本体であるタマの随心
- 善導大師の「覚」 五感の「視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚」の覚
- G・アダムスキーのソウルマインド touch & feelの「feel」
- 中今 古神道「過去と未来の間」
それで、ヒトは次です。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物と事)
シヰは生命維持の欲求であり、欲しい欲しいのシヰで、強いるのシヰです。ウは物質とその運動です。ウは物と事で、事は物の動きです。
ナサケヱダで物がわかり、アワレヱダで動きがわかり、物と事がわかります。物と事を音韻に割り当てたのが言葉です。順序は次です。
図1
- 物がわかる (情の働き:ナサケヱダ)
- 事がわかる(動きがわかる:アワレヱダ)
- 物と事を音韻に割り当てる(ヨソヤコヱ(48音))
- 物事に意味づけ出来る(知の領域)
- これが言葉
- 物事の価値がわかる
- 意識を通してわかる
図2 時の流れ
1.の「物がわかる」のみが現在(中今)であって、それ以後は過去の記憶によります。
それで、最後に「意」が来ます。これが意識です。
知(知識)は有限です。物と事は必ず”対”ですから、対にならない何かは知になり得ませんし、言葉で言えません。また、意識できません。「知:知識」は外のない内です。
それに対して意識には広がりがあります。例えば、「月の裏側から月の石を持って帰る。」と想像できます。更には宇宙の外から宇宙を眺めることも想像出来ます。
図3 失念:ビッグバン宇宙論
こういった想像(意識)は、月の裏側そのものではありません。これを抽象と言います。
ウ(物質と運動)によって、出来た脳も脳を模して作られたAIもブラックボックスの積み重ねに過ぎません。これを処理系と呼んでいます。
図3 条件式(外の状態により出力を変えるブラックボックス)
YouTubeに物理エンジンというチャンネルがあります。
動画1 【物理エンジン】漫画でよく見る「ぐるぐる足」はどれぐらいの速さ?【漫画あるある】
コンピュータ内に空間を模してメモリに領域をとります。この空間内に地面や空、重力、流体としての空気などを用意してシミュレーションします。これを動画として出力するにはレイトレーシング(Ray Tracing)という処理が必要です。
AIがどうなっているかわかりませんけれども、脳は脳内にコンピュータのように空間メモリを配置するなどやっていないだろうと考えます。それで、脳に意識そのものの働きはないと考えます。
注:この辺りのことは難しいです。結論としてAIに意識はありません。PC内にある動画ファイルなどの内容をPCは理解していません。処理しているだけです。動画だけでなく、生成した内容も理解していません。脳も同じです。できれば、過去の動画をご覧ください。動画での解説タブにあります。
結論として単に、これまで考えてきた要素で結びつかない2つが同じものではないかと考えただけです。
- シヰの表れが 意識 である
図4 弧理論による原子模型
文献によれば、タマは大宇宙の中心であるアより来ます。どうもシヰはM軸近傍にあると考えます。それでいて身体に密着しているようです。その表れが意識ではないかと。
意識は、基軸近傍にあるシヰと結びついているというのが結論です。
この仕組みは難しいです。管理人は、これまでに基軸とM軸の結びつきを考えて得たことがあります。
- 発散トーラスは、電磁気現象を基軸・M軸の位相問題として得た結果である
つまり、意識は弧理論による電磁気現象の把握と類似する(位相問題)と考えます。これは発散トーラスの性質を考慮すると部分的に納得できます。この説明は困難で長いです。
それで、ある考え方が出てきます。
- 図4のとおり、宇宙の全原子、ひとつひとつに宇宙の中心であるアとワが対応する
つまり、原子一個一個にアは対応しています。そのように考えると意識、あるいは意識の元?は生物、無生物、有機物、無機物など関係なく貼り付いているとの考えに至ります。この考え方はちょっと衝撃です。すると、「意識は脳に偏って存在する」というのは誤りということになります。
局所ではないようです。養老孟司氏の動画に類する発言がありました。どれだったか失念しました。(スポーツにおいて、脳神経の反応より筋肉付近の神経の反応の方が早いという実験があるというお話しでした。これだと自然科学と矛盾します。)
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。
先日からどうも有難うございました。
千島喜久雄氏の生命弁証法の中に「全ての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる。」とあり、世の中は矛盾対立があるのが正常と理解しています。
>脳神経の反応より筋肉付近の神経の反応の方が早い
慶応大教授の前野隆氏「受動意識仮説」というのがあります。
アントニオ・ダマシオ氏の「ソマチック・マーカー仮説」(私訳で無意識の事前選抜)
前野氏は、自分たちで判断していると「錯覚」しているのではないのかの仮説です。
こちらこそ、とても楽しい時間でした。ありがとうございました。
>事物は矛盾対立を内包
物と事は互いに規定し合う繰り返しですので、物事の関係は相対的だと理解します。
ですから、矛盾対立はありますでしょう。それ故、正義は幾つもあります。
>錯覚
さすがに錯覚だと即断できません。確かに脳と脳を模して作られたAIは仕組みと処理している内容からして違いはありません。だとすると、心の本体であるタマとココロバ(良心)とは何なのかを唯物的に脳の何かに求めるのは(自然科学として)無理があります。
ですから、ヒトがタマ+シヰ+ウ(物と事)という仕組みであると認めるならば、弧理論により解釈する方向に向かうしかないと考えます。
知(知識、情報)の処理(知的にわかる)は機械や脳でできますが、「情的にわかる」と「意識してわかる」は無理です。この2つの「わかる」という働きは、脳にはありますが、AIにはありません。