依存

とても興味深い動画がありましたので、メモします。伊藤貫氏とジェイソン・モーガン氏による対談です。

動画1 【伊藤貫の真剣な雑談】第19回 伊藤貫×ジェイソン・モーガン「脱米主義の奨め !!日米同盟という奴隷制から脱出せよ!」[桜R6/8/3]

 

幾つかのテーマがありますが、管理人が重要と思うところを抜き出しました。

  • 伊藤貫氏「6割から7割の人達は、自分で考えることが出来ない。代わりにマスコミからの情報を鵜呑みにして、これらに 依存 している。しかるべき、価値判断ができない。日本の拝米保守も宗教や哲学的レベルでの思考力がない。自分の目先の損得ばかりを考えている。」
  • ジェイソン・モーガン氏1h12m~「日本の文化自体が宗教ではないが、非常に深いところから、日本文化が湧いてきている。それを神道というかわからないが、神道という言葉が誕生する大分前から社やしろ文化というか、共同体が強い。そのような考え方、日本の道徳観が非常に早い段階で出来ている。それは仏教が入ってくる大分前から
    (日本人の道徳観は)仏教という説があるが、私は違うと思う。要は日本文化が非常に深いところで道徳か、宗教のような哲学のような役割を果たしている。そういう日本人らしい、自分たちが何万年かけて培ってきた文化が1945年8月に死んだかのような打撃を受けた。」

伊藤氏は、アメリカのエスタブリッシュメントは、人々を馬鹿にしていると言います。しかし、そう言った知的レベルの高い人達は狂っていると言います。その他、大勢の国民は自分で考えることができず、マスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにして、これらに 依存 していると言います。

ジェイソン・モーガン氏は、日本人の道徳性の根源を調べると仏教が入ってくる大分前から、道徳か、宗教のような哲学のようなものが存在すると述べています。

 

図1 ホツマ縄文日本のたから

管理人は、日本ヲシテ研究所の池田満氏が示すように、文化は低下し、代わりにシャーマニズムの時代が続いていると考えてきました。

それは、貨幣、お金への信仰です。それが、どうも間違いかも知れないと気づいたのが伊藤氏の言葉です。それはお金への信仰などではなくて、お金への依存に過ぎないということです。

伊藤氏の言葉から推測するに、人々は、全員が何かに依存しています。それは人々の目的によりません。サラリーマン、主婦、学生、児童、自営の方、自由業の方、宗教家、学者、実業家、金融資本家、政治家など、およそ考えられるすべての人々は何かに 依存 しています。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(物と事)

ヒトが持つシヰ(生命維持の欲求)の行き着く先は、シャーマニズムではなくて、依存だということになります。もしかしたら、エスタブリッシュメントが持つシャーマニズムは悪魔崇拝かも知れません。


貨幣、お金は負債から生まれます。元は何も無いゼロです。このお金に最大限依存しているのが現状です。

動画2 お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム money as debt (日本語字幕版)

 

動画3 「三橋TVの新キャスターに「国の借金」の嘘を世界一簡単に説明してみた」これがわかれば、財務省に騙されない![三橋TV第884回]三橋貴明・菅沢こゆき

 

動画4 「銀行預金は”キーボード”から生み出される…!?」財務省が勘違いしている2つのお金の生み出し方[三橋TV第886回]三橋貴明・菅沢こゆき


 

管理人は、ある科学者が言う「完全な理解」とは何かを考え続けています。

数百世代のあいだ地球人は「平和、平和」と叫んできましたが、平和はありませんでした。 彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことはまったくバカらしいと思われるとしても、数 百万の人々が周期的に起こる戦争において「すべての戦争を終わらせるために」戦って死んでゆきました。彼らはどんなに直接的な試みによっても平和は決して 達成されないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばよいかを誰かが知っているとしても、平和というものは掘ってゆけば得られるような黄金でもなく、またすぐに手に入る宝物でもありません。
平和は単に人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々のあいだの完全な理解と、神として地球人に知られている宇宙に偏満する『力と英知』の副産物として自動的に得られるものなのです。
そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかしこのことが理解されるまでは、どんな努力も成功しないでしょう。
“完全な理解″は依然として地球人の達しているレベルを超えていますが、一方、理解のいくつかの位相は私たちの達しているレベルをも超えていますので、人が平和を見つけることができるということは、それが理解できるレベルに達しているときだけのことなのです。

ジェイソン・モーガン氏が言うように「(日本人の根幹に)非常に深いところで道徳か、宗教のような哲学のような役割を果たしている。(何か)」とは、間違いなく縄文哲学(あるいはヲシテ哲学)です。これを田中英道氏は、自然道と呼んでいます。

このような縄文哲学を人々が思い出せれば、自分で考えることができ、様々な 依存 から抜け出すことができるはずです。これが「完全な理解」への第一歩です。

ただし、宗教といってもお金を取る宗教はダメです。

 

補足1 動画1において、伊藤氏「拝米保守は、価値判断ができない」についてです。これまでの記事と重複しますが、人が「わかる」という順序を示します。

最初に「働き」があります。「わかる」という働きです。

  1. まず、働きがある
  2. 「わかる」という働き
  3. 物がわかる(中今)
  4. 事がわかる(動きがわかる)
  5. ただし、弧理論においては、物と事は必ず”対”となって現れる。しかも、事の複雑さに限度はない
  6. 物と事に音韻を割り当てる(これが言葉
  7. 物と事の意味がわかる
  8. 物と事の価値がわかる
  9. 物と事を意識してわかる

1.からの基礎がしっかりとなければ、8.の価値判断はできません。私たちが幼い頃から受ける教育は6.からしかありません

ですから、自然科学には、動きはあるが、働きがありません。物と事の区別がありませんし、物と事が揃わない何かは非科学的なものとして排除されます。例えば、心理学が扱えない人の心、スピ系、テレパシー、オカルト、フリーエネルギー、UFO、宇宙人、スプーン曲げ、UMA、超常現象、都市伝説、陰謀論などです。

 

補足2 頭の中にだけある複雑な抽象と言います。抽象化の程度に限度はなくて、行き着く先は狂気です。これが「エスタブリッシュメントは狂っている」という話に通じます。

写真1 【動画あり】これがカマラ・ハリスだ!/歩くポリコレ、カマラ・ハリス、来日発表記念/『カマラ・ハリス、衝撃の無能!』

(カマラ・ハリスは何言っているのかわかりません。彼女の置かれた状況と大統領候補としての資質とは何の関係もありません。言葉はあるが意味がない。これが抽象です。彼女の薄ら笑いは不気味です。)

高度に抽象な理論や言説は、意味や価値が希薄です。無闇に知的にレベルが高いというのは、病的と紙一重です。言い換えると「知識への依存は、本当の意味での進歩ではない」ということです。現に知識の多くはAIに置き換えることができます。

物と事のわかる範囲を示します。図2 物と事のわかる範囲(単位:m)

管理人は、量子論や相対性理論、あるいは超ひも理論は、高度ではあるが意味が希薄だと考えます。高度で難解だからといって、事実かどうかわかりません。学者の抽象的な数学への依存の成果です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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