理系の人は100%知っていても、文系の人はほぼ知らないし、気づかないことがあると気づきました。それは知識、意識が循環、繰り返しであることです。
これまでに、ヒトとは何かを深く考えてきました。
- ヒト=タマ+シヰ+ウ
ヒトが持つ心の本体をタマと言います。シヰは生命維持の欲求です。ウは渦のウで、物と事です。この延長上に知識、意識があります。これまでの考察をまとめます。
最初に働きがあります。それは、「わかる」という働きです。仏教ではBuddhaと言ってよいように思いますが、まだわかりません。以下、順に書き下します。
- 物がわかる
- 事がわかる(動きがわかる)
- 物と事に音韻を割り当てる(これが言葉)
- すると、物と事の意味がわかる
- 物と事の価値がわかる
- 最後に、物と事を意識してわかる
ここで、物と事は必ず”対”となります。例外は一切ありません。それで、物と事は互いに規定し合う繰り返しとなります。物と事のどちらが欠けても3.~6.は成り立ちません。
必然的に、音韻の組み合わせである言葉は、繰り返し、循環になります。それは、話し言葉も書き言葉も同じです。数学も例外ではありません。コンピューターのプログラム言語も同じです。
当たり前ながら、超簡単なプログラムから、巨大なオンラインシステムに使われているプログラムまで、すべてのプログラムはループ(循環)です。
最も簡単なプログラム例をArduino IDE(スケッチ例、Basics、Blink)より挙げます。
void setup() {// initialize digital pin LED_BUILTIN as an output.pinMode(LED_BUILTIN, OUTPUT);}// the loop function runs over and over again forevervoid loop() {digitalWrite(LED_BUILTIN, HIGH); // turn the LED on (HIGH is the voltage level)delay(1000); // wait for a seconddigitalWrite(LED_BUILTIN, LOW); // turn the LED off by making the voltage LOWdelay(1000); // wait for a second}
プログラムは、LEDを1秒間隔で点滅するプログラムです。”void loop() {“から、”}”までがループです。循環です。このループは、如何なる言語でも、OSであっても、どんなに巨大なシステムであっても、みな同じです。
このことは、理系の人は、全員が知っていますが、誰も口にすることはありません。あまりに自明であって、意識することもありません。
対して、文系の人は、プログラムがループであることを(ほぼ)知りません。それは、歴史学者、政治学者、ジャーナリストなどマスコミ関係者もそうです。もしかしたら言語学者、国語学者でも気づいていないかも知れません。
数学を含む言葉は繰り返し、循環だと何度も書いてきました。冒頭に示したとおり、知識は言葉によります。言葉の上に意識はあります。
お示ししたとおり、物と事の性質からして、意味や価値が反転することが起きます。ですから、言葉の意味、価値も反転します。すると、当然のこと意識も変わります。
詰まるところ、言葉は、音韻を互いに規定し合う関係として配置していますので、繰り返しですし、意味も価値も反転するのです。ある物事を詳しく説明すればするほどに、どこかに繰り返しが現れてきます。それは例えば、フラクタルなどです。
すると、ヒトは物や事を言葉でわかっている訳ではないと気づきます。冒頭の、1.と2.に示した「わかる」は、言葉でわかっている訳ではないのです。これが岡潔のいった「情」に相当しますし、本居宣長の「あわれ(あはれ)」に相当します。ヲシテ文献のナサケヱダとアワレヱダです。
岡潔「情的にわかるというのがなければ、一切は存在しない。」
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