論理の限界 (外のない内)

恐らく、ほとんどの人々は、 論理的思考に無条件で意味価値を認めているように思います。そんな論理には限界がある。 論理の限界 についてのお話です。この限界を”外のない内”と言います。この記事は、これまでの考察のまとめです。

 

物理学者が目指す宇宙論の幾つかは、彼らの頭脳にあるのであって、宇宙そのものではありません。

相対性理論

これまでに示したとおり、相対性理論は循環理論です。

図1 古代インドの宇宙観に相対性理論の循環を重ねた図

岡潔が言った通り、時間・空間は、簡単な模型であって、自然そのものではありません

  • 運動→時間→光速度(不変)→時間・空間

光速度がわかるためには、その前に時間がわかっていなければなりません。時間は運動から作ります。運動は空間という入れ物(模型)の中にあります。

すると理論の全体は循環であることがわかります。この循環を光速度不変として断ち切り、一定の結論を得たのが相対性理論でした。

その結論の一つにE=mcがあります。(E:エネルギー、m:物質の質量、c:光速度) この数式は、次のように解釈されます。

  • 物質はエネルギーに転換するし、逆にもなる。

 

超ひも理論

物理学者たちの目的は、宇宙とは何かを解き明かすことです。その結論の一つに超弦理論(超ひも理論)があります。宇宙の物質は、とても小さな”ひも”でできていて、このひも振動している(往復、あるいは循環)と言います。

図2 出展失念 開いたひもと閉じたひも

考察の過程で、図2に示される超ひもが相対性理論にあるE=mcと重なっていると気づきました。

図3 Eとmは2つの経路で結ばれる

彼ら科学者は、宇宙論として宇宙方程式を作ります。彼らが複雑な方程式からイメージしたのが図2のひもです。

それは、彼らの頭脳の中にある論理です。図2のひもは、図3に示す(E=mcのイメージ)と重なります。

注意すべきは、論理彼ら頭の中だけにある抽象と言うことです。これは、時間・空間というのが簡単な模型であって、自然そのものではないからです。

 

不確定性原理

不確定性原理は、実験により測定、観察、観測することの限界を示す思考実験です。

wikiによれば、次の通りあります。

不確定性原理は、量子力学に従う系の物理量を観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量を観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのは、がそれぞれ位置運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。

下線は管理人による。数式では、次に示されます。Δxが位置の変位、Δpが運動量です。

この不等式の示すはE=mcと同じです。ですから、この不等式から図3と同じイメージ図を作ることができることに気づきます。

 

ループ量子重力理論

物理学者たちが考える量子力学と相対性理論を統合しようとする試みの行き着いた先にあるのは、ネットワークです。ループ量子重力理論

図4 出展失念

つまり、図2あるいは図3という要素(エレメント)を組み合わせることで、ネットワークを構築できることがわかります。この理論の場合、このネットワークをスピンネットワークと言います。

この理論も彼らの頭の中にあります。


 

相対性理論、超ひも理論(超弦理論)、ループ量子重力理論のいずれもが、彼ら科学者たちの頭の中だけにある抽象です。ですから、彼らの宇宙論は、自然そのものを表していません

また、不確定性原理は、彼ら科学者たちによる思考実験から得たものです。このような抽象は、彼らの時間・空間というモデルに原因があるとわかります。

 

如来の仕組み

指摘したように、数学を含む言葉は、繰り返しであり、循環、かつネットワークです。ですから、上記の理論も他の理論も何処かに繰り返し、循環が現れます。

図5 ネットワーク(脳とAI)

このネットワーク、あるいは理論、論理の複雑さに限界はありません。しかし、それより外へは決して出ていません。これが外のない内です。

この仕組みを仏教の如来と言います。

  • ~の如し、の如し、の如し、の如し・・・・
  • ~のような、のような、のような・・・・

如来は合わせ鏡のような仕組みです。互いに規定し合うことによって、成り立っている繰り返しです。

物質とエネルギーの関係も同じです。必ず”対”を成しています。必ずです。必ずループ、繰り返し、循環、ネットワークを成して、閉じています。それが外のない内です。

 


 

数学を含む言葉を基とした知識意識には、本質的な限界がある。 論理の限界 についてのお話です。

彼ら科学者の唱える宇宙論は、宇宙そのものではありません。それが証拠に彼らの模型には、「ヒトとは何か、生命とは何か」が欠落しています。【4】何故見えるのかより。

身辺のことのうち、一番手近なことからはじめると、私、今、眼を開いています。そしてみなさんが見える。目をふさげば見えない。目をふさげば見えないというのは、物質現象です。しかし、眼を開けると見えるというのは、これは生きているから見えるのであって、生命現象です。

 この眼を開ければ何故見えるのか、ということについて、西洋の学問は何一つ教えてくれていない。西洋の学問のうち、この方面を受け持っているのは、自然科学、さらに詳しくいえば医学です。医学は、見るということについて、どう言っているかというと、視覚器官とか、視神経とか視覚中枢とか、そういった道具があって、この道具のどこかに故障があると、見えない、そこまでは言っている。

 しかし、故障がなければ、何故見えるのかということについては、一言半句も言っていない。即ち、これも物質現象の説明にとどまる。眼をふさぐと見えないというのと同じことです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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